「死の楽譜」

原題:Partitur des Todes

2008

 

<はじめに>

 

 オルハン・パムクの「私の名は紅」を二ヶ月かかって、「苦労惨憺」という体で読み終えた後、私はサクサク読める本を求めていた。その意味では、この「死の楽譜」はうってつけの本であった。さて、内容は・・・、どうもこの作者のこのシリーズを読むと、「どこかで読んだ」という気がつきまとう。それなりに練られたストーリーなのであるが、何故か「二番煎じ」という言葉がちらついてしまう。

 

<ストーリー>

 

 一九四一年、フランクフルト。ある夜、幼いゲオルグは、両親と住む家からひとりだけ向かいの家に移される。その夜、ナチの憲兵隊がゲオルグの家へ押し入り、ユダヤ人である彼の両親を連れ去る。向かいの家の窓から、ゲオルグはそれを見ていた。

 

 二〇〇五年五月、パリ。かつては劇場のオーナーで、今は引退をしているホフマンは、マドモアゼル・ブランシュに会いに出かける。七十五歳になるホフマンは、かつて自分の経営する劇場で踊っていたブランシュと付き合っていた。彼女も老年に達し、もうとっくに引退をしている。 ホフマンは恋人に、その日の午後、テレビに出演することを告げる。それは「身近にいる有名人」という名の、インタヴュー番組であった。

 ヴァレリー・ロシャールは男の部屋で目を覚ました。二十七歳になる彼女は、妻のあるピアニストのヴィクトールとずるずると関係を続けていた。その日も、そんな自分に対して嫌悪の情を覚え街角で涙を流す。彼女は職場のテレビ局へと向かう。ジャーナリストである彼女は、その日の午後の番組で、かつての劇場の支配人にインタヴューをすることになっていた。

 ホフマンはテレビ局に到着、ヴァレリーが担当する生放送が始まる。最初、ホフマンの劇場支配人としての体験について質問をしていたヴァレリーだが、その日、自己嫌悪から妙に攻撃的な気分の彼女は、ホフマンの生い立ちについて細かく尋ね始める。最初は答えることを躊躇していたホフマンだが、最後に、

「自分はユダヤ人であり、かつてはドイツに住んでいた。両親はナチに連れ去られ、自分は生い立ちを隠してフランスに移住した。」

と真相を述べる。

 番組の後、ヴァレリーに送られてテレビ局を去ろうとしたホフマンを守衛が呼び止める。彼に電話がかかっているという。その電話は女性からのもので、ホフマンに宛てた書類が入った封筒を預かっているので明日取りに来て欲しいというものであった。その封筒の上には、「ゲオルグ・ホフマン」という彼の名前の他に「アウシュヴィッツ」と書かれていると電話の声の主は言った。

 翌日、ヴァレリーとホフマンは、テレビ局の取材チームを引き連れて、電話をかけてきた女性、マダム・デロネーのもとに出向く。そこはパリ郊外にある古城であった。デロネーはホフマンに古い封筒を渡す。中には手書きの楽譜が入っていた。それは有名な作曲家、ジャック・オッフェンバッハの手による未発表のオペレッタの楽譜であった。

デロネーの父は政治犯として、アウシュヴィッツに送られるが、何とか生きながらえ、パリに戻った。そのとき、アルツール・ホフマンというユダヤ人から、機会があれば息子に渡してくれと、その封筒を託されたという。デロネーの父は既に亡くなり、娘がその封筒を今日まで保管していたというわけである。

 オッフェンバッハの未発表の楽譜の発見は世界中にセンセーションを巻き起こす。ホフマンの元には各国の音楽出版社から、楽譜の出版依頼が舞い込む。ホフマンはそれには興味を示さず、ヴァレリーに代理人になってくれるように頼む。ヴァレリーはフランクフルトの出版社と交渉するために、楽譜を携えて列車でドイツに向かう。 

 

 エファ・ヘルベルガーはマイン河畔が見下ろせるアパートに住んでいた。彼女は河の畔のベンチにひとりの黒ずくめの男が何時間も座り、辺りの様子を窺っているのに気がつく。彼女はその不審な男を警察に通報する。しかし、電話を取ったデーリンクとリープマンはそれを真剣に受け付けない。ヘルベルガーには、これまで何度も同じような通報で警察を煩わせた過去があったからである。

 フランクフルト警察の警視、ロベルト・マルターラー、彼はチェコ人の恋人テレーザと同棲を始めていた。また、彼の職場は新しい上司、シャルロッテ・フォン・ヴァンゲンハイムを迎えていた。彼はある日の早朝、同僚のリープマンからの電話で起こされる。マイン河に係留されているレストランボートで、多数の死体が発見されたという。

 彼はリープマンと共に、現場へ急行する。「サルタンの屋台」という名のトルコ人の経営するそのレストラン、マイン河に浮かぶボートそのものが店になっている。中には、身なりのよい中年の男性と若い女性のカップル、年金生活者風の年配の男女カップル、そして小太りの男の五人が、至近距離から銃で撃たれて死亡していた。ボートの持ち主、つまりレストランの主人は見当たらない。口紅のついたグラスが残されていたが、その女性も発見されなかった。マルターラーは、死亡していた小太りの男の顔をどこかで見たことがあると感じる。しかし、それが誰であるか思い出せない。

 捜査班の面々が現場に到着したとき、デーリンクとリープマンは昨日「不審な男がいる」と通報があったがそれを無視したと、マルターラーに告げる。マルターラーが通報をした女性のアパートを訪れるが留守。隣人は彼女が旅行鞄を持って出て行ったと話す。

マルターラーは、行方不明になっている、レストランの主人のトルコ人の妻と話すが、彼女も夫が、

「不審な男が店の前にずっといる。」

と話していたことを知る。その黒ずくめの男が殺人の機会を窺っていたことが明らかになる。

 被害者の身元がだんだんと明らかになってくる。殺された一人で身なりのよい男性が、州の官房長官で、その横で死んでいた女性が彼の秘書だったことが発覚、州の首相が直々に警察署に乗り込む事態となる。捜査一課と捜査二課合同で特別捜査班が編成され、マルターラーがその指揮をとることになる。普段は一緒に仕事をすることのない二課のスーパー刑事、オリヴァー・フランティゼクも彼のチームに加わる。

 ヴァレリーは、目を覚ます。自分が縛られてトラックの荷台のような場所に転がされているのに気付く。

マルターラーは殺されていた小太りの男が、かつて自分の高校の同級生であることを思い出す。彼は「昔の同級生を捜す」インターネットのサイトを使い、その男の名がヨアヒム・モーランクであることを突き止め、その男の住所を訪ねる。そこは荒れ果てた古い家、中にはやはり荒れた感じの若い女性がいた。その若い女性は、バルバラ・ペヴェリッチと名乗り、フランクフルトのザクセンハウゼンでストリッパーをしており、殺されたモーランクとは同棲中だったと述べる。そしてモーランクは殺される日、

「フランス人の女と会う予定がある。」

と言って出て行ったという。

 鑑識による、現場の遺留品の調査により、いくつかの点が明らかになる。犯行に使われた銃は「デザート・イーグル」という軍用拳銃、数年前輸送車が襲われた際に、大量に強奪されたものだった。また、殺された五人と、行方不明のレストランの主人の他に、もうひとり、女性と思われる人物の指紋が発見されていた。

 警察は、犯行の当日、辺りで撮影された写真、ヴィデオを市民や旅行者から募る。いくつかの写真に、黒ずくめの男が写っていた。その男は巧みに顔を隠して、人相は分からない。また夜に撮影されたヴィデオにはその男がレストランボートに入って行き、直後にボートの電灯が消えるのが写っていた。その男が犯人で、彼が「プロ」の殺し屋であることは、もう疑いようがなくなった。

 犯行のあった日の夕方、現場の近くで、交通事故を目撃した通行人がいた。タクシーが若い女性を降ろした後、駐車中のライトバンにぶつけ逃げ去ったというものである。その目撃者は幸いタクシーのナンバープレートを記録していた。マルターラーはその番号から、タクシーを探し出し、その時車を運転していたヴェトナム人の運転手を探し出す。不法労働の運転手は、殺人事件のあった日、中央駅から若いフランス人の女性を乗せ、ホテル「ニザ」に立ち寄った後、その女性をマイン河の畔まで送ったと証言する。ホテルを訪れたマルターラーは、そこでヴァレリー・ロシェールという女性が、チェックインしたものの、その後行方不明になっていることを知る。ホテルの部屋は、フランスのテレビ局を通じて予約されていた。

 一方、捜査班に加わったフランティセクは、ちょうどドイツで行われていた国際会議のためにドイツを訪れているフランス人の銃の専門家に会うためにケルンへ向かう。専門家と会い、犯行に使われた銃が輸送中にフランスで大量に強奪され、まだそのうちの大部分の行方が分かっていないこと、ドイツのある会社がその銃の売買に関わっているという嫌疑を受けたが、証拠不十分では起訴には至らなかったことをフランティセクは知る。フランティセクはそのドイツの会社に、単身潜入しようと決心をする。

 ヴァレリーの身元が明らかになったことで、彼女の行方不明のニュースがフランスでも流れる。責任を感じたホフマンは、自らもドイツに向かう。

 モーランクの身辺を洗ううちに、ホイバッハという音楽出版会社のオーナーが浮かび上がる。彼はマルターラーの追跡から逃げようとするが、マルターラーは自宅で彼へ帰った彼を取り押さえ尋問する。

「モーランクからオッフェンバッハの未発表の楽譜で一儲けをしようともちかけられたが、殺人を依頼したのは自分ではない。」

とホイバッハは語る。

 「不審な男がいる」と警察に最初に通報したエファ・ヘルベルガーが新聞社のインタヴューに応じた。彼女は

「自分は犯人と思われる男の顔を記憶しており、もう一度会えば誰だか分かる。」

と語っている。マルターラーと同僚のケルステン・ヘンシェルは、新聞写真の背景に写っていた風景からヘルベルガーの居所を突き止め、その地へ向かう。しかし、ヘルベルガーはもうフランクフルトに戻った後だった。マルターラーがフランクフルトのヘルベルガーのアパートを訪問するが、彼女はそこで首を切られて殺されていた。

 マルターラーは、何故、ヴァレリーが他の客のように殺されずに、誘拐されたのかを不思議に思う。もし犯人の意図が、「楽譜」を手に入れることならば、犯人はまだそれを手に入れていないのではと考える。マルターラーはヴァレリーの宿泊していたホテルの部屋を訪れる。そして、そこで予備の毛布の下から、楽譜を発見する。

 マルターラーは楽譜を鑑識のザバトに渡す。ザバトは楽譜の裏に書かれた暗号を見つける。そして、その解読にも成功する。その内容は驚くべきものであった。その内容ゆえに今回の殺人劇は起こったのであった・・・

 

 

<感想など>

 

 最初から否定的なコメントを書くことは良くないかも知れないが、書いてしまおう。設定に無理があるのではないかと。ホフマンの父はアウシュヴィッツの強制収容所で死ぬ前に、オッフェンバッハの未発表の楽譜を、他の人間に託したという設定になっている。しかし、収容所に運ばれ、そこに家畜のような状態で収容されている人間が、長期間に渡り、楽譜の束を持ち歩くことができたという点に、不自然さを感じてしまう。一応、作者もその点を突っ込まれるのではないかと予想はしたらしく、同じ疑問をヴァレリーに語らせ、マダム・デロネーに「不可能だということはない」と説明させているが、その説明自体、何となく取って付けたような印象を与えてしまう。

その他、殺されていた男にマルターラーは見覚えがあり、後で高校の同級生と分かるなど。ヘニング・マンケルの小説の舞台のイスタードという田舎町なら分かるが、大都会フランクフルトでそれはないだろ、という感じがする。

ヘニング・マンケルの系譜を継ぐ警察官小説の常として、マルターラーや他の人物の私生活も散りばめられている。マルターラーはチェコ人の女性、テレーザと念願の生活を始め、今回彼女は妊娠する。しかし、その私生活と本来の筋の接点がない。これも取って付けたような印象を与えるのである。私生活を絡めて行くのならば、もう少し深く書き込んで、しかも本筋との接点が欲しい。

ゲイに目覚めた同僚。その同僚に振られたケルステン。新たに登場するスーパー刑事。超エリートの女部長。脇役はそれなりに面白いのだが、主人公のマルターラー自身の「はみだし刑事」ぶりが、中途半端な気がする。フランクフルトは妙に特徴のない街であるとの印象がある。フランクフルトも、警察小説の舞台になりえるには、少し中途半端な街なのかもしれない。ドイツでは結構売れているシリーズらしいが、他国語に翻訳されて、国際的な読者を獲得するには、少し無理のあるような気がする。

 

200912月)

 

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