イタリア人の名前

 

どこまでも広く、常に貸し切り状態のゲレンデ

 

 クリスマスの日に、やっと行方不明の荷物がホテルに届いた。午後スキーを終わってホテルに戻り、フロントに赤いトランクが置かれているのを見て、正直嬉しかった。行方不明になってから、実に五日ぶりの帰還である。部屋へトランクを持って上がり、早速開けてみる。着替えやカップヌードルなんがでてきた。娘が歓声を上げた。

「クリスマスプレゼントだ。」

と娘が言った。

トランクに付いている航空会社のタグを見ると、二十四日、クリスマスイブのBAのフライトでギャトウィックからトリノへ運ばれている。つまり、英国での離陸の際に積み忘れ去られていたのである。疑ったイタリア人に「ごめんなさい」と言いたい。

クリスマスの日のホテルのディナーは、普段の四コースよりまだ多く、六コースくらいだったように思う。とにかく、プリモ(ファーストコース)のパスタだけでも三種類くらい出てきた。それだけで満腹。時間も二時間近くかかったようだ。風邪気味で頭の痛かった私は、メインコースを食べないで部屋に戻り横になった。

 クリスマスの翌日から、駐車場、ゲレンデが混み始めた。クリスマスを終えた、地元のイタリア人が大挙してスキー場につめかけたからである。スキー場でリフトを待つ間に聞こえてくる会話も、これまでは英語とイタリア語が半々だったが、圧倒的にイタリア語が多くなった。

天気は相変わらず良くて、濃い青い空が広がっている。サングラスをしないと、目を開けていられないくらい。

 スキー場で、昼食を食べているときや、リフトを待っているとき、いつも誰かが、

「モニカ」

「モニカァ〜」

と呼んでいるのが耳に入る。私の末娘がこちらの名前で「モニカ」と呼ばれているので、その度に、どきっとして振り返ってしまう。いたるところに「モニカ」がいるのだ。本当に、イタリア人の女性の半分は、「モニカ」という名前ではないかと勘ぐりたくなるくらい。

 そう言えば、昔、スペインの田舎にある工場で働いていたとき、女性の工員に「マリア」と言う名前がすごく多いのに驚いた。そのことをスペイン人の同僚に言ったら、

「その通り、スペインの女性の半分の名前は『マリア』だ。そして、残りの半分は『カルメン』」

そう言えば、カルメンも多かったなあ。

 ともかく、最後の三日間は、初めて大勢のイタリア人に囲まれて、母音が多くて歯切れのいいイタリア語を聞きながら過ごした。

 そして、それほどイタリア人が大挙してやってきても、リフトの待ち時間が少し長くなるくらいで、ゲレンデはスイスイに空いていた。どこまでも広いスキー場なのであった。