我々は団結して立つ

 

 空港には友人のNさんが迎えに来てくれていた。私は数日間Nさんの家に居候することになっている。Nさんはロンドンでのかつての同僚、私と同じくコンピューターを生業としておられる。Nさんは数年間シンガポールでも仕事をしておられ、そこでも数日泊めてもらったことがある。(Nさんの「立ち回り先」には必ず顔を出していることになる。)シカゴには二年前からお住まいである。

「常夏のシンガポールから、冬は厳寒のシカゴに来られて、暖かいところが恋しいでしょう。」

と言うと、

「いやいや、やっぱり四季があるのはいいもんすね。一年中夏だと堪らないっすよ。」

と、函館出身のNさんは少し北海道訛りでそう答えた。

 

 オヘア空港から、車でNさんの住む、アーリントン・ハイツという町に向かう。片道四車線の高速道路である。高速道路の、道路状況を示す電光掲示板に

「UNITED WE STAND (我々は団結して立つ)」

と表示されている。Nさんに聞くと、九月十一日のテロ事件をきっかけに、二週間前、アメリカがアフガニスタンを攻撃し始めた後、町のいたるところに「我々は団結して立つ」と言う文字が表示されているという。テロ事件のすぐ後は、

「GOD BLESS AMERICA (アメリカに神のご加護を)」

と、電光掲示板に表示されていたとのこと。また、Nさんは、

「アメリカの国旗をつけて走っている車が多いでしょ。あれもテロの後ですよ。」

と付け加える。改めて見ると、小さな星条旗をはためかせながら走っている車が二十台に一台くらいの割合でいた。「ひとつの旗の下に」と言うくらい、戦国時代の昔から、愛国心、団結心のシンボルはなんと言っても旗らしい。

 高速道路を走っている車もヨーロッパとかなり違う。乗用車も、バスも、トラックも一言で言うと「いかつい」のである。

日本やヨーロッパのトラックは前部が箱型でエンジンは運転席の後ろにあるが、米国のトラックは一時代前のバスのようにエンジンが前に突き出しており、そのエンジンの両側にタイヤとヘッドライトが突き出している。運転席の後ろ辺りで左右に煙突のような二本の排気管を突きたて、空に向かってぼっぼっと煙を吐きながら走っている。ちょっと垢抜けないが、それなりに力強い印象を受ける。

黄色いスクールバスもいっぱい走っていた。アメリカではバス通学が多いのであろうか。これもいかつい代物で、ごつい車体に、小さめの窓、前に突き出したエンジン。後ろに大きく黒で「スクールバス」と書いてある。写真を撮って、後日ロンドンで妻に見せたら、

「わー、囚人護送車みたい。」

との感想。でも、護送車なら中に乗っている子供たちはそれだけ安全ということか。

 それと、言わずもがなのアメリカの乗用車。日本車やヨーロッパ車も全体の半分くらい走っているのであるが、どうも残りの半分のアメリカの車のデザインは、イマイチ垢抜けていないと思う。

 速度制限の標識も、日本やヨーロッパのように、赤い丸の中に数字が書いてあるのではなく、四角の白地に黒で数字が書いてある。最初私は、高速道路の出口の番号かと思った。道路と車については、ヨーロッパと日本は共通点が多く、アメリカはかなり違っているという印象。

 窓の外を見て、初めてのアメリカの私が「わー」とか「きゃー」とか言っているうちに、Nさんの車は高速道路を降り、彼の住む町の住宅街に入って言った。道路が広い。家が道路から五メートル以上奥まっており、家と家の間隔も十メートルくらいある。つまり、家と家の間隔が広く、ずいぶんゆったりした印象である。木々が黄色く色づき美しい。

 

 その日の午後は、ショッピングモールへ行くことにした。家族への「お土産」も買っておこうと思った。着いたその日にもう土産を買いに行くと言うのも、気の早い話であるが。Nさんが連れて行ってくれたショッピングモールは、プロムナードがあり、その両側に結構高級そうな店が並んでいた。一軒のデパートに入ってみたが、売り場がずいぶん贅沢な間取りになっており、通路が幅三メートルから五メートルほどある。こんなレイアウトは日本や、欧州では考えられない。

 前にも述べたが、テロ事件、その後の炭そ菌騒動以来、アメリカ人の団結の象徴「星条旗」が流行になっているようで、星条旗をデザインしたTシャツや、帽子がたくさん売られていた。息子の土産に「星条旗のTシャツ」を一枚購入。

 それから、何軒かの店に入ったが、困ったのは支払いの際のお金である。

今まで暮らした、英国やドイツでは、紙幣の大きさが金額によって違っていて、基調になる色もそれぞれ違っていた。英国では五ポンド紙幣は小さく青く、十ポンド紙幣は少し大きくオレンジ、二十ポンド紙幣はそれより大きく赤い、という風に。アメリカの紙幣は、一ドルも十ドルも二十ドルも全く同じ大きさで、同じような色をしている。財布から引っ張り出すときにすぐ間違える。

また、二十五セント、「クウォーター」というコインも曲者。欧州では、コインはたいてい、一、二、五、十、二十、五十、百という単位で、英国で四十七ペンスを払おうとすると、二十ペンスが二枚で、五ペンスが一枚、二ペンスが一枚というように頭で計算する癖がついている。二十五などという単位が突然登場すると、まず四十七引くことの二十五という計算をしなくてはならず、計算の苦手な私には時間がかかった。

買い物を終えると午後五時。英国は真夜中過ぎである。私は疲れと、猛烈な眠気を感じた。Nさんと私は早々に韓国焼肉で夕食をとり、Nさんの家に戻るとすぐに、私は、ソファーの上で毛布に包まり、ぐっすり寝込んでしまった。