リアルト橋の向こう側

 

リアルト橋の上から

 

 大晦日、ホテルのテレビはイタリア語の放送しか映らないが、数日前のインドネシア沖の地震と津波のニュースをずっと伝えている。「ツナミ」という言葉は国際語のようで、イタリア語の中に混ざってしばしば聞こえてくる。今回の休暇を、モルジブとか、インド洋の島にしないで良かったと思った。

明日はロンドン、実質的に最終日なので、ヴェネチアの街に出かけることにする。目的はショッピングと美味しい食事である。今日も天気が良く、運河に反射する陽光が眩しい。例によって、十時半頃にホテルを出て、バスでローマ広場まで行き、そこから歩く。スミレがいろいろ迷った末に、緑色のヴェネチアンマスクを買った。マスクを見て、スミレも僕も、こちらに来る前にロンドンで見た「オペラ座の怪人」の映画を思い出した。ミドリが何故か靴を買った。イタリアは靴の本場だからまあいいか。でもアディダス。

昼を過ぎ、お腹が空きだしたので、レストランを探し始める。今回、初めてリアルト橋の向こう側、サン・ポーロ地区に足を踏み入れてみた。魚市場がある。更に進むと、細い路地と、細い運河が錯綜した街になった。路地の幅は一メートルもない。同じように細い運河が網の目に配置されている。歩いている人も少ない。土産物屋やホテル、レストランは少ない。そういった意味では、この地区は観光地化されていない、本来のヴェネチアの町並みを残しているように思えた。

ヴェニスの建物のことについて書いたが、メストレの建物についても触れておく。なかなか上手く考えてあるのに感心したからだ。道の両側に歩道がある。しかし、歩道の上は建物なのだ。つまり、ビルが車道ぎりぎりまで建てられているが、一階の部分だけがえぐられて、そこが歩道になっている。こうすると、歩道の上の空間が有効利用されるし、歩道の上に屋根がある形になるので、雨が降っても歩行者は濡れない。

夕食は軽く済ませ、その代わり昼食は豪華版でいくことになっていた。一軒のレストランに入り、実質的に最後のイタリアでの食事をする。ワインを一本頼み、前菜とメインをそれぞれ注文する。ミドリの注文したスズキ、僕の注文したイワシのマリネ、ワタルの注文したイカの唐揚げがなかなか美味しい。

夜、妻と子供たちは十時ごろに、ホテルを出て、またヴェネチアに行った。これは息子の提案で、サン・マルコ広場でカウントダウンをして、新年を祝おうということなのだ。部屋でウトウトしていたら、妻が起こしに来た。一緒に行かないかと聞く。でも、面倒くさいので、僕はホテルに残ることにした。そして、本を読んでいるうちに眠ってしまった。

外がうるさいので目が覚めた。時計を見ると零時二分過ぎだった。年が変ったのだ。ヨーロッパでは元旦の零時に花火を揚げる習慣がある。その花火の音で目が覚めたのだ。僕はカーテンを開けて外を見た。バンバンと派手な音がするが、肝心の花火はどこにも見えない。いつも造船所が見えるだけ。僕はまたベッドに入り、ヴェネチア最後の夜を朝までぐっすり眠った。(了)

 

店に飾られたヴェネティアンマスク。

 

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