炎のランナー

 

グレート・コート・ランが行われるトリニティー・カレッジの中庭。

 

「炎のランナー」(原題はChariots of Fire)という古い映画をご覧になったことがあるだろうか。一九二四年のパリオリンピックに出場した二人のランナーの物語だ。ひとりはケンブリッジ大学トリニティー・カレッジに通うユダヤ人の学生、ハロルド・エイブラハムズ。もうひとりは、スコットランド出身の宣教師エリック・リデル。敬虔なエリックは、オリンピックの決勝が安息日の日曜日に行われることになったため、棄権してしまうという徹底ぶり。公開が一九八一年、僕が大学の頃の映画だ。良い映画という印象が今でも残っている。ストーリーもさることながら、透明感のある主題曲は、映画音楽の中でも名曲中の名曲だと僕は思う。

僕は長らくマラソンをやっていた。シカゴマラソンなどの大きな大会だと、スタートの前に音楽が流れている。この「炎のランナー」のテーマは、そんな時必ずといってよいほど流される曲である。この曲を聴くと、映画のシーンもさることながら、マラソンのスタート前のあの独特の緊張感を懐かしく思い出す。

その映画の中に、ハロルドがトリニティー・カレッジの中庭を一周、正午の鐘が鳴っている間に走り切るというシーンがある。長い歴史の中で、彼がそれに成功した最初の男となるのだ。それは実話らしい。「グレート・コート・ラン」と呼ばれるその時間との競走には、その後も、挑戦者が現れて、何人かが成功している。最近では、今年の十月二十日、サム・ドビン君という経済学部の学生が挑戦し、成功した。僕は彼の成功を、翌日の「ザ・タイムズ」の記事で読んだ。彼は、

「つるつる敷石の上なので走り難かった。」

と語っていた。

僕とポヨ子はその「炎のランナー」をDVDで、前日の夜に見ていた。ゴンヴィル・アンド・ケイアス・カレッジを出たY君は、今度はその「グレート・コート・ラン」で有名なトリニティー・カレッジの門を潜った。そのカレッジは一般には公開されていないらしく、入り口には「関係者以外立入禁止」の立て札があった。

「おーい、Y君。ここ立入禁止だけど、入っていいのかい。」

僕が聞くと、彼は言った。

「僕は夜、友達を訪ねて何度も来たことがありますから。もし何か言われたら、僕の両親と妹ということにしておきましょう。」

 トリニティー・カレッジの中庭に立つ。少し地味だが端正な建物に囲まれた、よく整備された庭が美しい。ここを一周すると三百六十七メートル。そこを鐘の鳴り終わるまでの四十三秒以内に走る。確かに外周は長年の磨耗でツルツルした敷石で、走り難くそうだ。

しかし、昨夜見た映画のシーンを思い浮かべと、よく似てはいるがどこかが違う。後で調べてみると、映画はその場所ではなく、ウィンザーの「イートン・カレッジ」の中庭で撮影されたということだった。

 

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