「黒いガラスごしに」

ドイツ語題:Wie durch ein dunkles Glas

原題:Through a Glass, Darkly

2007

 

 

<はじめに>

 

「コミッサリオ・ブルネッティ」シリーズも十五作目。長いお付き合いをさせてもらっている。その間にヴェニスを訪ね、彼の足跡を追ったりもした。十四作の中には、面白い作品もあったが、正直イマイチのものもあった。最近は不法移民問題、管理売春などの社会問題を絡めた作品が多い。さて、今回は、環境問題を取り扱っているという。どんな出来なのかと期待しながら読み始める。

 

 

<ストーリー>

 

 戻ってきた陽光が春の気配を感じさせ、窓から外を見る者を何となくうきうきさせる日、ブルネッティのオフィスを部下のヴィアネロが訪ねる。彼は天気とは裏腹に、浮かない顔をしている。友人のマルコ・リベッティが、排水を違法に垂れ流す染料工場に対する抗議行動の途中、警察に逮捕さ、今はヴェニスの対岸であるメストレの警察署に拘留されていると言う。ヴィアネロはマルコの妻アスンタから、夫が早く釈放されるように助けを求められていたのだ。ブルネッティはヴィアネロと共に、メストレの警察に向かう。彼らはマルコと面会する。デモの最中、工場の従業員と暴力沙汰を起こしたというマルコの容疑は、元々それほど確固なものでなく、マルコは間もなく釈放される。

 メストレの警察署の前で、ブルネッティとヴィアネロはひとりの老人にあった。彼は、マルコの義父、デ・カルであった。ムラノ島でガラス工場を経営しているデ・カルは、マルコを嫌っていて、彼が自分の遺産目当てに娘と結婚したのだと言い切る。

 数日後、ブルネッティとパオラは、ムラノ島のあるガラス工房で行われた、新作発表会に招待される。そこでふたりは改めて、マルコ・リベッティとその妻アスンタと知り合う。マルコ夫妻は、ブルネッティが、自分の釈放に尽力してくれたことに感謝していると述べる。

 翌日、ブルネッティはアスンタが妻のパオラに電話をしたことを知らされる。アスンタはブルネッティに会って話がしたいという。ブルネッティはそれを承諾し、アスンタはブルネッティを警察署に訪れる。アスンタは、自分の父親が、本気で自分の夫を殺そうとしていると訴える。父親が、知人に、「あいつを叩き殺してやる」と漏らしているのを、聞いたと言う。ブルネッティは、デ・カルがどの程度真剣にその言葉を発したのか、デ・カルがどのような男なのかを知りたいと思う。ブルネッティは、ムラノ島に親戚のいる若い部下、プッチェッティに、親戚を通じて、デ・カルとその周辺の情報を集めてくれるように、内々に依頼する。

 デ・カルの性格を知るために、ブルネッティは、デ・カルの工場で深夜番として働くタッシーニのアパートを訪ねる。彼は不在で、彼の姑がふたりの幼い子供面倒を見ていた。その子供の一人、女の子は知能の発達が正常ではなかった。ブルネッティは姑に、タッシーニがデ・カルの性格についてどう言っているかを尋ねるが、老婆は言葉を濁す。

 部下のプッチェティの紹介で、ブルネッティとヴィアネロはムラノ島に住むプチェッティの叔父と会う。彼らは一緒に昼食を取りながら話をする。プチェッティの叔父は、デ・カルのことを吝嗇で、島の誰からも嫌われ者だと述べる。しかし、ブルネッティの知る限り、デ・カルが娘婿のマルコを「殺してやる」と述べたのは、あくまで酒の上のことで、実際に行為に及ぶことはないように思われた。プチェッティの叔父は、もうひとつ、デ・カルが、自分の工場を売りたいと言っていること。そして、その一番有力な買手の候補が、隣で同じくガラス工場を営み、ムラノ島ガラス工房組合の組合長をしているファサーノという男であることを述べる。

ブルネッティはもうひとり、ムラノ島でデ・カルの工場に原材料を納品するボヴォという男に会うが、デ・カルに対する評価は「どうしようもないケチの糞野郎」、しかし実際には老齢の上病気持ちで、殺人を犯すほどの体力も気力もないという、同じようなものであった。

ブルネッティは例によって、副署長パッタの秘書エレットラに、デ・カルとその周辺についての情報収集を頼む。エレットラは、デ・カルの元で働くタッシーニが、自分の娘の知恵遅れを周囲の環境のせいにし、企業や自治体を片っ端から告発していることを知る。実際のところは、出産の際のトラブルが原因と思われるが、タッシーニはそれを認めようとしない。ブルネッティはタッシーニに会う。娘の出産の後、彼の妻はうつ病に罹っていると言う。そして、タッシーニ自身は、彼の周囲の環境に含まれる薬物のせいで、娘の異常が起こったことを証明するために、時間と精力をつぎ込んでいた。

数日後の早朝、ムラノ島のデ・カルの工場で、誰かが死んでいるとの通報が入る。高温に熱せられたガラスを溶解する釜の前で死んでいたのは、タッシーニであった。頭に傷を負っていたが、それが他人によるものか、事故であるかは、即座に判断が付かなかった。

ブルネッティはタッシーニの死を伝えるために彼のアパートを訪れる。そこには彼の母と、妻がいた。妻は、夫が「危険な秘密を知っていた」と述べる。そして、夫が残していた、書類をブルネッティに渡す。その中に入っていた三枚の紙。そこには一見意味不明の数字が羅列されていた。ブルネッティはその書類を持ち帰り、その「暗号」を解こうと試みる。家に帰ったブルネッティは、その「暗号」について、妻のパオラと娘のキアラに語る。その数字を見た二人は、ブルネッティが考えもつかなかった数字の意味を読み解く。三枚の書類の示していたものとは・・・・

 

<感想など>

 

「ヴェネチアグラス」、ガラス製品はヴェニスの代表的な土産物のひとつである。もうひとつはマスク(風邪や花粉症のときにするやつではない)か。そして、そのガラスはフォンタメンタ・ノーヴァから水上バスで十五分ほどのムラノ島で作られている。近年は、中国などからの安物の流入も多いらしいが。ムラノ島に着く前に、小さな四角い島が右に見えるが、これは島は全体が墓場になっている。

ともかく、ガラス器はヴェニスの最大の名物であり、ムラノ島のガラス工房はヴェニスの名所である。しかし、これまで、なぜかブルネッティ・シリーズの題材として取り上げられなかった。十五作目において、満を持しての登場、と言いたいところであるが、内容的にはいまひとつという印象を受ける。

ガラスと並んで、この作品のもうひとつのテーマは「環境問題」である。これまでずっとブルネッティの良き相棒であったヴィアネロであるが、彼はいつの間にか熱心な「環境保護論者」になっていた。これまで、知的なブルネッティに対して、「どこにでもいるおじさん」的な役割を担ってきたヴィアネロであるが、ここへ来て、突然、環境問題を論じ始める。その豹変が何だか変である。副署長、パッタの秘書、エレットラまでが、ヴィアネロの影響を受けてか、同じような主張をするようになっていた。

ヴェニスは地球の温暖化による水面の上昇、また周辺の地下水汲み上げによる地盤沈下、またラグーンの水質汚濁によりまさに存亡の危機を迎えている。まさに地球規模の「環境問題」の影響をもろに受けている土地だ。しかし、そのホットな環境問題をまたまた利権と私利私欲のために利用しようとする人間が現れる。もう、本当に人間とは、どうしようもない生物であると思う。

もうひとつ、この物語の背景を挙げるとするならば、ダンテの「神曲」か。死亡したガラス工房の深夜番、タッシーニがこの本を愛読しており、あちらこちらに引用が見られる。タッシーニはインテリなのだろうか。それとも、イタリア人にとって「神曲」は、日本の「徒然草」「奥の細道」等と同じように、学校の国語の教材として取り上げられ、普通のイタリア人にも馴染みのあるものなのであろうか。その辺りを知りたい気がする。

ブルネッティの上司パッタは、英国でのインターポールの職に応募している。しかし、誰もが蹴られることを知っていて、エレットラが中心になって、それが分かるのが何月何日かの賭けが行われている。そして、今回も、パッタはブルネッティの捜査をやめさせようとする。

こう書いていて、何故、この本を読んで、イマイチの印象しか受けなかったがわかてきた。登場人物、ストーリーが完全に類型化し始めているからである。「水戸黄門」「遠山の金さん」的な、毎回毎回、背景と脇役は変わるが、基本的に筋は同じというやつである。環境問題を取り扱っているが、それは背景を少し凝ったものにする、「薬味」のような役割しか果たしていないような気がする。

いつもながら、食事の記述は秀逸である。ブルネッティが家出パオラの手料理を食べるシーン、またブルネッティとヴィアネロが、ムラノ島のローカルレストランで、プチェッティの叔父と食事をするシーンなど。腹が減っているときに読むと、ちょっと辛いくらいに丁寧に美味しく描けていると思う。

 

200711月)

 

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