夢の中の少女

 

原題:The Girl of His Dream

ドイツ語題:Das Mädchen Seiner Träume

 

<はじめに>

 

二〇〇九年に発刊された「コミッサリオ・ブルネッティ」シリーズの第十七作である。しかし、ドナ・レオンは多作である。毎年一冊ずつこのシリーズの本を出している。毎年長編が書かれ、しかも一定の水準が保たれていることを期待しつつ読み始めた。

 

<ストーリー>

 

早春のベニス。土曜日。ブルネッティと彼の家族は母親の葬儀に参列している。葬儀を取り仕切った司祭は、ブルネッティの兄の同級生、アントニン・スカロンであった。

月曜日、ブルネッティは警察署にアントニンの訪問を受ける。アントニンは宣教師として永年アフリカのコンゴで暮らし、数年間にイタリアに戻ってきていた。ブルネッティは学校時代、他人に命令したがるアントニンの性格をよく思っていなかった。

アントニンは、知り合いの女性の息子のことで、ブルネッティに相談したいことがあると告げる。その息子ロベルトは、レオナルド・ムッティという男が率いる宗教団体に入り、その教祖に心酔し、教祖から要求されるがままに金を出し、最近は家を売ってまで寄付しようとしているという。そのムッティという男を洗い、ロベルトが金を巻き上げられるのを食い止めて欲しいというのが依頼であった。とても警察が出る幕であるとは思えないが、友人の頼みとあって、ブルネッティは渋々その件を引き受ける。同時に、アントニンと言う人物と、その行動に、ブルネッティは逆に疑惑を感じ始める。

一応カトリック教徒ながら、普段は教会とは無縁の生活を送っているブルネッティであった。彼は教会と近しい関係にある義母を訪れ、「レオナルド・ムッティ」なる人物について知っていることはないかと義母に尋ねる。義母はその名前を聞いたことがあると言い、何人かの知人に、その人物について尋ねてみることを約束する。

ムッティと同時に、依頼者のアントニンにも興味を持つブルネッティは、彼が下宿する司祭の家を訪ねてみる。アントニンは不在で、ステファノという名の老司祭が在宅であった。ブルネッティは適当な口実を見つけて、ステファノ師と話を始める。歳を取ってはいるものの、ステファノ師はなかなか鋭い人物で、ブルネッティの訪問の真の目的を尋ねる。ブルネッティは正直に答える。ステファノはアントニンのことを誠実な人物だという。

署に戻ったブルネッティは、アントニンからの依頼について、同僚のヴィアネロに話す。本来ならムッティという男の身辺を調査するべきなのに、依頼者のアントニンにばかり興味を持っているブルネッティを、ヴィアネロは不思議に思う。そして、ムッティという男が主催する周回に一度ふたりで出てみることを提案する。

ブルネッティはムッティの主催する集会が行われる家をつきとめる。そして、その家を訪れ、そこにいた女性に集会に参加したいと伝える。集会は火曜日の夜に行われる、新しいメンバーも歓迎するとのことあった。

火曜日の夕方、ブルネッティとヴィアネロはお互いの妻を連れて落ち合い、その集会に出かける。参加者はごく普通の少し信心深い人々であった。時間になり背の高い人物が現れ話を始める。それがレオナルド・ムッティであった。彼の話は理路整然として、他人を納得させるものであった。彼は人間の善行について述べ、特に金の話をしなかった。

集会からの帰り、カフェでワインを飲みながら、四人はムッティの人物とその説教について話をする。パオラは、彼の核心を突いてくる巧みさとともに、他人の感情に直接訴える、「アメリカの宗教セクト的」なものを感じると述べる。

インターポールの研修のためにしばらくベルリンにいた副署長のパッタが警察署に戻ってくる。彼は研修で「多文化の受容」について学んだという。パッタは「外国人のためのプロジェクトチーム」を作ろうと言い出し、そのリーダーにアルヴィーゼという警官を任命する。しかし、それは実はEUからの補助金目当てのもので、メンバーはひとりだけのプロジェクト、署内では嘲笑をもって迎えられる。ブルネッティは多忙に紛れて、いつしかアントニンからの依頼について忘れてしまう。

ある雨の朝、運河に死体が浮いているという通報が入る。ブルネッティとヴィアネロはボートでその場所に急行する。ふたりはその死体を自ら引き上げる。それは十歳くらいの少女の遺体であった。

検死の結果、ポケットの中からは懐中時計が、膣からは金の指輪が見つかった。また少女には、屋根か壁を滑り落ちたような引っかき傷があった。死因は溺死であった。死亡した時刻は発見の七、八時間前、つまりその日の早朝と推定された。

少女の持っていた指輪は結婚指輪であった、そこに彫られていたイニシャルと日付から、ブルネッティはその持ち主を特定する。その人物の家は、少女が見つかった運河から、それほど遠くない場所であった。

ブルネッティとヴィアネロはその家を訪問する。そこはフォルナリという名のビジネスマンの家庭で、夫人が応対に出た。夫人は、指輪と時計が自分の夫の物であることを認める。その時計と指輪が盗まれたと思われる夜、つまり、少女が発見された前夜、夫人と息子は外出し、娘が独りで家にいたと告げる。盗まれた物は最上階の寝室の引き出しに入っており、そこには運河を見下ろせる窓があった。夫人とブルネッティが話しているとき、その家の娘が帰ってくる。彼女は警察官が訪問していることを知ったとき、動揺し、激しく咳き込む。

ブルネッティは義母から、レオナルド・ムッティとアントニン司祭についての情報を得る。義母の友人が、やはりムッティの集会に出て彼に心酔し始めたとき、またもアントニン司祭が現れ、早くそこから足を洗うように勧めたという。何故、アントニンは、ムッティの一派を目の仇にして、そこに参加している人々に警告を与え続けているのだろうか。再び興味を持ったブルネッティは、副署長パッタの秘書、エレットラにカトリック教会のコンピューターに潜入し、アントニンにまつわる情報を集めるように依頼する。

ブルネッティのもとに、少女の解剖の結果が報告される。少女は推定年齢十歳、しかし過去に性交の経験があり、淋病に感染していた。そして、少女が死亡してから数日経つのに、行方不明の届出や、捜索願がどこからも出されていない。ブルネッティは少女の容姿、服装から、彼女が「ロマ」、つまりジプシーではないかと推測する。もし、ジプシーなら、これまで警察に関わっている可能性が多い。ましてや、少女は盗品を持っていた。ブルネッティは少女の写真を警察(ポリツィア)や憲兵隊(カラビニエリ)の詰所に配り、彼女を知っている警察官がいないか捜す。

エレットラがアントニンの調査結果を持ってきた。アントニンはかつてアフリカのコンゴで宣教師として働いていた。その時、彼は職業訓練施設を立ち上げ、その運営のために寄付を募っていた。その寄付の要請はブルネッティも受け取っていた。しかし、その寄付の大部分は彼の上司に流れ、その私腹を肥やすことに使われていた。アントニン自身はそのことを知らなかったようだという。

そのスキャンダルがひとりのジャーナリストによって暴かれる。そして、アントニンはその責任により更迭され、イタリアに戻されたということであった。それ以来アントニンは「宗教に名を借りて私腹を肥やす人物」と戦っているように思われた。

溺死した少女を知っている憲兵隊員がいるという知らせがブルネッティのもとに入り、彼は憲兵隊、カラビニエリに出向く。少女はやはりベニス郊外の「ジプシーキャンプ」に住むジプシーの娘であった。彼女はアリアナ・ロキッチという名で、過去に何度か窃盗で補導されていた。彼女の両親も、窃盗、麻薬売買等で何度も逮捕歴があった。カラビニエリの仕官スタイナーは、ジプシーの現状について語る。常に動き回る彼等を、警察も憲兵隊も捕捉できないというのが現状であった。

ブルネッティは少女の両親に会うことを決意し、スタイナーとソーシャルワーカーに同行を依頼する。キャンピングカーの並ぶジプシーのキャンプに着いた一行は、そこにいた男達に、少女の父親ボクダン・ロキッチに会いたい旨を伝える。ロキッチはいないと最初は言い張っていたジプシーの男達だが、ソーシャルワーカーの巧みな弁舌で、父親が現れることになる。ブルネッティは父親に娘が死んだ旨を伝え、その死体の写真を渡す。父親は怒りの表情を浮かべ、母親は泣き叫ぶ。ブルネッティは男達の冷たい対応を訝しく思いながらキャンプを去る。

警察署に戻ったブルネッティは上司のパッタにジプシーの娘の件を報告する。「多文化の受容」の研修に行っていたせいか、珍しくパッタは犠牲者に同情を示すが、子供の絡んだ事件は扱いが大変なので、事故として片付け、捜査の打ち切りを命じる。

ブルネッティは上司の命令を無視して、もう一度ジプシーのキャンプを訪れる。父親はブルネッティとの会見を拒むが、ブルネッティは車検の切れた彼等の車を一台ずつ撤去するという強行処置を取り、何とか父親に会う。そして、娘が淋病に罹っていたことを父親に告げ、病気を移した男を特定するために、キャンプの男の血液を検査することになったと嘘を言う。また、少女のかかっていた医者の名前を聞く。

ブルネッティは少女が死んだ夜盗みに入ったフォルナリの家族が何かを隠していることを察して、もう一度その家族を訪れてみることにする。夫人は、前回よりも急にやつれて見え、家の中も荒れていた。ブルネッティは、彼女の夫に初めて会う。ブルネッティはその人物の饒舌の中に、何かを隠していることを本能的に察知する。

フォルナリの家を訪れる道中から、ブルネッティは何者かに尾行されていることを感じていた。フォルナリの家を出た後、ブルネッティはその人物を巻き、袋小路に追い込む。それは意外な人物で、その口から意外な話が飛び出す・・・

 

<感想など>

 

 物語の始まりからしばらくは、司祭アントニンと彼の依頼についてのエピソードが続く。

「今回のテーマは『宗教』だ。」

そう思って読んでいると、実は今回のテーマは「ジプシー問題」であることが分かる。

「ジプシー」、日本では馴染みがない人々である。キャンピングカーで暮らし、常に移動を続ける人々。その存在は今から千年前より確認されているという。

筆者の住む英国にも、ジプシーはいる。差別用語ということで今ではそう呼んではいけないらしい。英国では「トラベラー」(旅する人々)と呼ばれている。この人達はある日町の空き地にキャンピングカーを乗りつけそこに住み始める。そして、数週間、数ヶ月後にまた風のように去って行く。後にはゴミの山と、ボコボコに穴の開いた地面が残されているという、まあ、迷惑な人々なのである。一部定住を始めた人達もいるようで、英国では不法に住み着いた「トラベラー」を強制的に退去されてよいのかどうかが問題になっている。

ブルネッティと一緒にジプシーキャンプに行く途中、その運転手の警官は、

「ジプシーたちには別の法律が適用されている。」

と述べる。ジプシーとて暮らしていかねばならないので、色々仕事をしている。中には窃盗というような「仕事」もあるようだ。しかし、彼等は巧みに逮捕、起訴される心配のない子供達をそれに使い、また場所を常に変えることで、警察の目から姿をくらましている。普通の「犯罪」が、「彼等にとっての犯罪」ではないというのである。「治外法権」の中に生きている人々である、と筆者も感じたことがある。

ブルネッティの同僚、ヴィアネロは

「好き嫌いは自由に言えるのに『私はジプシーが嫌いだ』とは言えない。」

と述べる。つまり、ジプシーは一種の社会的な「タブー」なのだ。そう言った意味では、日本の「特殊部落民」、「被差別部落民」問題と似ていると思う。

 今回は少女が犠牲者となっている。特に少女の死体を引き上げたブルネッティとヴィアネロにとって、その姿がトラウマとして残ってしまう。タイトルの「夢の中の少女」というのはロマンチックなものではなく、

「少女の死体が夢の中にまで自分を追ってくる。」

という、かなり精神的に危険な状態を表わしているのだ。ジプシーの嫌いなヴィアネロだが、一般論と個別論は違う。彼は

「ジプシーは嫌いだが、その子供達は哀れだと思う。」

と述べる。

宗教問題も第二のテーマとして描かれている。金儲けに走る宗教に対して警告をして歩く司祭。彼自身も、実は犠牲者であったのだ。また、ブルネッティの義理の母。カトリックの信者ながら、無神論者もそれなりに受け入れている。宗教は何よりも「寛容」でなくてはならないというメッセージを伝えている。

いつもながら、パッタの美人秘書、エレットラの現実論は面白い。特にブルネッティの理想論との対比において。彼女は、パッタに全面的に信用されているスカルパと、パッタと事ある毎に対立するブルネッティを比べて、

「上司に信頼されていない方が安全だ。」

と言い切る。信用されている部下は多少辛い目に遭わせても、例えばクビにしても、それを受け入れるが、対立する人間はそれに逆襲してくるからという理由。怖くてクビにできないというのだ。彼女はもう一種のハッカーという次元にまで、コンピューターに熟達している。

 正直言って、途中で嫌になる自分を鼓舞しながら、どうやら最後まで読んだ。どうも、テーマがぼやけていて、つかみどころのない印象を受けた作品。

 

20119月)