ドナ・レオン

コミッサリオ・ブルネッティ・シリーズ

 

 主人公はヴェニスの地元警察に勤めるブルネッティ警視。正義を愛し、何よりもヴェニスの町とそこに住む人々を愛するが、スーパーマンでは決してない。妻のパオラと、息子のラファエルと娘のキアラと典型的なヴェニスのアパートに住んでいる。パオラは高校で英語を教え、聡明で彼の職業に理解がある。ラファエルもキアラも思春期を迎えて彼自身も手を焼いている。警察署長はパッタ氏。典型的に上に弱く、下に厳しい管理職として描かれている。彼の部下たち。決して派手な活躍はしないが、地道に彼を支えていく。

 

 

第二話

原題:Death in a Strange Country 「異国に死す」

ドイツ語訳:Endstation Venedig「終着駅、ヴェニス」

 

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 九月のある朝、アメリカ人青年と見られる死体が運河で発見される。捜査の結果、近くのアメリカ軍ヴィチェンザ基地に勤務する保健衛生担当の下士官、フォスター軍曹が行方不明になっていることが判明した。基地よりその「上官」と名乗る女医ピータース大尉が身元確認のためにやって来る。死体の確認に立ち会ったブルネッティは、死体を見、それがフォスターであると認めたときの彼女の異様な動揺に不審を感じる。

 ブルネッティは捜査のためにアメリカ軍基地を訪れる。そこでピータースと殺されたフォスターが恋人同士であったことを知る。フォスターの家を捜索した際、ブルネッティはコカインの袋を発見し、密かに持ち帰る。それを、フォスターが殺害された原因を、麻薬を巡るいざこざと見せかける罠であることをブルネッティは見抜く。

 そのピータース医師が今度は死体で発見される。麻薬を自分で注射しようとした際、分量を誤っての事故死として処理されるが、ブルネッティは、彼女もフォスターもある秘密を握っており、その口止めの為に殺害されたものと確信する。彼らが握っていた秘密とは何なのか。

 時を同じくして、ミラノ在住の実業家ヴィスカルディが、ヴェニスにある別荘で何者かに襲われ、高価な絵画を強奪されるという事件が起きる。ブルネッティはヴィスカルディの証言の曖昧さから、事業に躓いた実業家が絵画に掛けられた保険金を得るために仕組んだ狂言強盗ではないかと推理をする。しかし、確証はない。その上、ヴィスカルディの影響力は強く、警察署長のパッタを通じて、ブルネッティの捜査に圧力がかけられる。

 ピータース女医が死亡してから数日後、彼女が生前ブルネッティに送った郵便物が配達される。中身はある少年患者のカルテと、医学専門誌である。それを読むことにより、基地に住むひとりの少年が、ピクニックの途中何か有害な物質に触れ、その部分がただれる症状を起こしたことが分かる。それが不法に投棄されたアメリカ軍よりの廃棄物に含まれる、有害物質が原因であるらしい。フォスターもピータースもその事実について調べており、何か証拠を発見していた。そして、それが公表されることを望まぬ者によって殺害されたことは今や明白である。

 ブルネッティは基地内に常駐するイタリア側の警察署長アンブロギアーニの協力を得て、被害にあった少年の父親に接触する。そして、ついにその廃棄物の不法投棄の現場と、首謀者も見つけ出す。そして、その首謀者とヴィスカルディが、利害を共にする仲であることをつきとめる。しかし、政治的な力のある敵は圧倒的で、唯一の証人と見込んでいた青年は事故を装って殺害され、協力者のアンブロギアーニは遠くへ転勤になってしまう。そして、最後の頼みの綱、義父であり政治的な影響力を持つコンテも、実は事業の上でブルネッティの敵と利害を共にする立場であると知る。ブルネッティは挫折感と無力感にさいなまれる。

 

 ブルネッティの捜査の基本は、人間関係と、その人間との会話である。彼は特に策を弄するわけではない。「語るに落ちる」と言うが、彼と話している間に相手は、ポロリと真実や本音を漏らしてしまうのである。 

アガサ・クリスティーの推理小説も、大抵最後の十ページくらいで初めて全貌が明らかになり、問題が解決されるが、この小説最後の章の残り十ページになっても、依然新たな殺人が発生し、収束しそうな気配もない。それどころか、そこには事件を解決できなかった挫折感にさいなまれる主人公の姿があるばかり。やっと残りの五ページになって初めて、物語を結末に導く事件が発生する。後めくるべきページが数枚しかないのに一向に解決に向かわない筋を前に、私は本当にこのままで終わってしまうのではないかと心配になった。

 主人公のみならず、彼の家族、同僚、その他全ての登場人物に対する描写がとても丁寧である。また、何気ないエピソードを通じて、登場人物の性格が推し量れるように上手く描かれている。その結果、ミステリーには珍しく血が通った人物が動き回り、彼らに親近感を感じる。反面、本筋と関係ないエピソードが多すぎて、筋を整理するのに時間がかかる。カジノでブルネッティが大勝したなどの意味ありげな出来事が、結局最後まで大筋では何の意味も持たなかった。ドイツ語で読んだせいもあるが、正直、余りにも多くのエピソードの中から、物語の展開に重要な核になる出来事を見つけ出すのに少々苦労した。

 そして、結末は「これが解決と言えるのかな」としばらく考え込んでしまった。

 それにしても、ヴェニスの町の描写が素晴らしい。視覚的な美しさを彷彿とさせる描写も見事だが、各教会から響く鐘の音も思わず本当に聞いたような気にさせる。私は数回ヴェニスを訪れたが、決して清潔な町ではない。「どこそこ殺人事件」と言うような有名な土地を舞台にした小説は、えてして観光ガイドの受け売りに陥りやすい。しかし、この小説はヴェニスの、美醜、清濁併せ呑む独特の雰囲気を的確に伝えていると思う。そして、それは永年その地で暮らした者にしか出来ないことだと思う。

 

 

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