ドナ・レオン

コミッサリオ・ブルネッティ・シリーズ

 

第五話。

原題:Acqua alta「水位上昇

ドイツ語訳:原題と同じ

 

 

 今回の物語は英語の原題もドイツ語訳も同じ「Acqua alta」、イタリア語では「洪水」「高潮」の意味である。地球の温暖化で海面が上昇してきているのか、地盤沈下でヴェニスの町が沈降しているのか、冬の間、激しい雨が降り、満潮と重なると、ヴェニスの町は水に覆われてしまう。物語は、激しく降りしきる雨と、上昇してくる水位の中で展開される。

  

 

 今回の物語で中心的な役割を演ずるアメリカ女性で考古学者のブレット・リンチとオペラ歌手のフラヴィア・ペトレーリは、第一話の「死のフェニーチェ劇場」に続き二回目の登場である。第一話では、楽屋で死体で見つかった指揮者ヴェラウアーの指揮するオペラのプリマドンナとしてフラヴィアが、そのレスビアンの恋人としてブレットが登場する。その中で、ブルネッティとブレットは、単に警察と事件の目撃者以上の親密な会話を繰り広げる。

 そのブレットが久しぶりにヴェニスに戻って来た。雨が窓を打つある冬の夕方、フラヴィアはブレットのアパートでCDから流れるオペラと一緒に歌いながら料理を作っている。ブレットにふたりの男の訪問者が現れる。美術館長のセメンザートと遣いだと名乗る二人の男は、突如その慇懃な態度を豹変させ、ブレットに襲い掛かる。「セメンザートに会うな。」という警告とともにふたりはブレットに顎の骨と肋骨を折る重傷を負わせる。気づいたフラヴィアがかけつけ、手にした包丁でひとりの男を傷つけることにより、男たちは退散する。

 入院中のブレットをブルネッティが見舞う。数回の訪問の間に、ブルネッティは今回ブレットが彼女の発掘現場のある中国からヴェニスに戻ってきた経緯を知る。昨年セメンザートの美術館で古代中国の陶器の展覧会が開催された。ブレットがその責任者である。展覧会が終わり、中国へ送り返された展示物を彼女が確認すると、その中の三点が模造品と掏りかえられていた。彼女はその件で美術館長のセメンザートに何回も連絡を取ろうとするが、返事はない。直接彼に真相を問い合わせるべくヴェニスに戻り、翌日のセメンザートとの会見を前に、彼女は襲われたのである。

 数日後、セメンザートが館長室で殺される。ブルネッティは殺されたセメンザートの身辺を洗うが、彼は有能な館長であると同時に、その地位を利用して蓄財をしていた。彼はヴェニスの骨董商ムリーノの共同出資者であり、地位を利用しての得た品物の売買の手段も持っていた。殺されたセメンザートの部屋に残された指紋から、第三の人物が浮かび上がる。指紋の該当人物の父親、ラ・カルパである。商売らしい商売もしていないラ・カルパであるが、数年前ヴェニスに邸宅を購入し、莫大な金をかけてそこを改修し、現在はそこに住むに至っている。セメンザート、ムリーノ、ラ・カルパの電話と、クレジットカードの支払いを調査したブルネッティは、三人に接点があることをつきとめる。彼らが共謀して展覧会に出展された陶器を掏りかえ、本物を横流ししたことは十分考えられる。しかし決定的な証拠はない。ブルネッティはラ・カルパを訪れ、彼と話すことにより、糸口をつかもうとする。

 物語の最初から最後まで冬の雨が降り続け、話が展開し、緊張が高まるにつれ、ヴェニスの町を囲む運河の水位も高まる。そして最後の決定的なシーンは水の中で起こるのである。

 今回、ラ・カルパと言う狂人的な美術収集家が登場する。かれのコレクションの大部分は、非合法な手段で手に入れたものである。彼には、大きな悩みがある。彼のコレクションを見せる相手がいないのだ。収集家として言うものは二面性を持っていると思う。ひとつは美しい物を手に入れたいという独占欲である。もうひとつはそれを他人に見せびらかしたいという自己顕示欲である。独占欲の権化となり、欲しいものを何でも手に入れる彼も、それを他人に見せられないことで大いに悩むというのが面白い。

 彼は特に古代中国の陶器に見せられている。私事であるが、筆者は数年前、大英博物館で催された、中国の秦時代の美術品の展覧会に足を運んだことがある。そこで驚いたこと、それは紀元前に作られた物が、そのデザインにおいて、現代の人間が見てもはっとするような新しさを持っていうることだった。その斬新さに、古代から中世、近世にかけて、美術は退化したのではないかとも思ったし、結局この二千年で人間の感性は進歩していないのだとも思った。それを思い出すにつけ、物語の中の、古代中国の陶器に魅入られた人間模様が興味深かった。

 今回も、ブルネッティの武器は、彼の人間関係、それを通じての情報網である。ヴェニスでの人間関係を、レオンは次のように記述している。(第十三章)ブルネッティは友人で画家のレレから貴重な情報を得る。

「『有難う、レレ。』

他の全てのイタリア人と同じく、ブルネッティも知っていた。相手への個人的な好意の細かな網がイタリアの社会全体に張り巡らせれていることを。それらは全て当然のこととしてなされる。例えば、誰かが友達や義理の父親から情報を得てそれを相手に提供する。その情報により、双方の間の貸し借りのバランスに帳尻の変化が生じる。しかし、その時の借りは遅かれ早かれ別の情報交換により相殺され、全ての貸し借りのバランスはまた元に戻るのである。」

近代警察の最大の武器が、個人的な魅力と、それに魅かれて集まる人たちとの人間関係、そしてその人たちのもたらす情報であるというのは、皮肉なものである。