ドナ・レオン

コミッサリオ・ブルネッティ・シリーズ

 

今回ブルネッティの戦う相手は教会である。と言うよりは、宗教に名を借りて、私利を貪る輩である。しかし、キリスト教会は約二千年に渡って存在するがゆえに、内部の団結力、理論武装も並大抵ではない。妨害者と戦うことでは海千山千の、規模ではおそらくイタリア最大の組織にブルネッティは立ち向かっていく。

 

第六話

原題:Quietly in Their Sleep「穏やかな永眠」

ドイツ語題:Sanft entschlafen 「穏やかな永眠」

 

 

署長のパッタが休暇を取り、何となくのんびりムードが漂うヴェニスの警察署。ひとりの若い女性がブルネッティを訪ねて来る。ブルネッティは彼女をどこかで見た記憶があるが、思い出せない。彼女は、自分がブルネッティの母親の介護をしていた「修道女イマコラータ」であり、本名はマリア・テスタであることを告げる。修道女の姿から、普通の女性の姿に戻っていたので、ブルネッティは俄に彼女の正体が分からなかったのである。

ブルネッティの母親が、老人性痴呆症状になり、養護老人ホームに入っていることは、前の数刊で既に紹介されている。彼は、弟と一週間交代で、週末に母親を見舞うことにしているが、母親はもはや自分の息子たちを認識できない。マリアは一年前まで、ブルネッティの母親のいる老人ホームで働き、その後別の老人ホームへと移っていた。マリアはある修道院からホームに派遣されていた。彼女はブルネッティの母親のお気に入りであり、彼もマリアの献身的な看護に敬服していた。

マリアの話。それは彼女が一年前から働いていた老人ホーム死んだ数人の老人の死因に関するものであった。それまで元気だった老人が突然死亡する、それも、心臓がこれまで悪くなかった老人が「心臓発作」で死亡するということにマリアは気がつく。老人たちの不審な死について、ブルネッティに捜査をしてほしいというのが彼女の頼みである。

彼女は、その不審を婦長と自分の担当の懺悔司祭に話をしていた。婦長は「ありもしない風説を広めた」、「命令に従わなかった」ということで、彼女に謹慎を命じた。彼女は上司の無理解に嫌気がさし、修道院を飛び出し、独りで生活を始めていた。

 

マリアから、不審な死を遂げた数人の老人のリストを受け取ったブルネッティは、その遺族を訪問する。嗅ぎ煙草の容器の収集に血道を上げる病的な中年男、宗教に凝り固まったやはり別の意味で病的な女性、宗教的な慈善活動(それが「コンドームの販売禁止」なのだが)を進める伯爵夫人。しかし、死者の遺言や、その死因には不審な点がみつからない。ブルネッティは、マリアの思い過ごしではないかという方向に傾いていく。

彼の事件への疑問をまた喚起させるのが、マリアの懺悔司祭のピオを訪ねた際である。彼は修道院側が何か秘密を隠していることを直感する。彼は、秘書のエレットラの協力により、ピオが、宗教的秘密結社「オペラ・ピア」の一員であり、スイスの銀行に多額の蓄財をしていることを知る。

 

そのマリアが何者かに轢き逃げされ、意識不明になる。組織的な犯罪者による口封じと判断したブルネッティは、病室の彼女に警察の監視をつける。しかし、修道院側は、警察署長のパッタに圧力をかけ、その監視をやめさせてしまう。ブルネッティは、同僚の協力を得て、ある「罠」をしかけた上で密かに監視を続ける。果たして、深夜、ある者がナイフを持ってマリアの病室に忍び込む。張り込んでいたブルネッティは、格闘の上その者を捕らえる。それはまったく意外な人物であった。

 

以上の本筋とは別に、もうひとつの宗教界をめぐるスキャンダルが話題になる。ブルネッティの娘の通う学校で、宗教の授業を担当する司祭ドン・ルチアーノである。彼は懺悔の時間に、女子生徒のセックスに関する告白を異常に根掘り葉掘り尋ね、懺悔の為の小部屋で女子生徒の身体に触るという人物。この人物に対する処置はブルネッティの妻、パオラの担当となる。パオラは彼女なりに策略を廻らし、この司祭の追い出しにかかる。

 

秘書のエレットラは今回、宗教界の内部情報を入手する。もちろん内部の協力者がなければそれは得られない。ブルネッティが彼女にどのようにして聖職者を協力させたのかと尋ねる。

「彼は私の友達と関係を持ったの。」

という答え。ブルネッティは納得する。

 

 これらのキリスト教会を廻るスキャンダルに関する次から次へのエピソードを読むと、レオンが宗教界に嫌悪を持ち、それを「悪」として捉えているのではないかと考えたくなる。しかし、よく読んでみると、作者がブルネッティの敵として描いているのは、「宗教」そのものではなく、宗教的な権威を利用して私利私欲に走る人物、組織なのである。

妻のパオラの言葉なのであるが、

「私は聖職者が嫌いなわけではないの。私は『僭主』がきらいなだけなの。宗教的な僭主は最も卑劣で狡猾なのよ。司祭自体は嫌いではないわ。良い人たちもいるもの。」

また、ブルネッティとエレットラの会話だが、宗教者に対してボロクソに言う彼女に対して、

「きみが宗教に対して、そんな決定的な見解を持っているとは知らなかったよ。」

とブルネッティが言う。

「私の見解は『宗教』とは関係ありません。」

「関係ない?」

「『権力』と関係があるんです。」

パオラもエレットラも、つまり作者のレオンも宗教を笠に着る「権力」を嫌い、それに対しての宣戦布告をしているのである。

 

なかなか泣かせるエピソードもある。警察署長のパッタは権力者からの圧力にはからっきし弱いというどうしようもないおっさんで、今回も一度襲われたマリアに対する警察の監視を教会からの圧力でやめさせてしまう。ブルネッティは自分の勤務時間外の時間を使って監視を続けようとしたとき、腹心のヴィアネロを始め、若い警官までが、非番や個人の時間を使って監視を続けることを申し出る。結局、監視は続けられ、マリアに対する二度目の襲撃を未然に防ぐことができるのである。

 

今回もブルネッティは組織に対し単身捜査を進め、いいところまで行くのだが、今回も、結局は組織力で押し返される。それで、今回も八勝七敗で何とか勝ち越しかという結末。このパターンもさすがにこれだけ続くと少しマンネリ気味ではある。