ドナ・レオン

コミッサリオ・ブルネッティ・シリーズ

 

毎回社会に巣食う悪と単身戦っている警視ブルネッティ。今回の相手は「汚職」と「麻薬」である。

 

第九話

原題:高い所にいる友人たち「Friends in High Place

ドイツ語題:繊細な友人たち「Feine Freunde

 

 

土曜日、自宅でくつろぐブルネッティは地籍局の職員フランコ・ロッシの訪問を受ける。地籍局というのは日本では市役所の建設局、都市計画局に当たる部署であろうか。新築や改築の認可、審査が主な仕事であり、もちろん観光都市ヴェニスでは、歴史的な景観の保護も重要な仕事のひとつであろう。

ロッシの訪問の目的は、ブルネッティの住居についてである。彼と家族は古い建物の上に増築された最上階に住んでいるが、彼の住む階が増築された際の認可書類が、地籍局で見つからないと言う。認可書類が存在しない限り、無届けの建物と見なされ、罰金の対象となる他、場合によっては取り壊しの対象にもなりえることを、ロッシはブルネッティに伝える。ブルネッティは大いに驚き、自分の知人を通じて、地籍局に手を回そうとする。しかし、妻パオラが提案した、彼女の父親に頼むことは拒絶する。パオラの実父は、ヴェニスで有数の金持ちで、政治的にも大きな影響力を持っている人物なのであるが。

数日後、ブルネッティは職場でロッシからの電話を受ける。ロッシは、自分の働く地籍局についての緊急で重要な情報をブルネッティに伝えたい様子である。一度電話が切れ、ブルネッティはロッシからの電話を待つが、結局電話は再びかかってはこなかった。翌日、ロッシが改築中の家の足場から転落して重傷を負ったことが新聞に掲載される。それ読んだブルネッティは病院に駆けつけるが、ロッシは既に死亡していた。

ロッシがブルネッティの住居を訪れた際、ブルネッティは彼をバルコニーに案内し、下の階の様子を見せようとする。そのとき、ロッシは確かに恐怖の表情を示した。ロッシは高所恐怖症なのではないか。そんな人間が墜落すれば命に関わるような足場に登るだろうか。ブルネッティはロッシの死因に不自然さを感じ、独自に捜査を始める。そして、潔癖なロッシが自分の職場で何らかの不正を発見し、それを警察に通報しようとしたために、口封じの為に殺されたのではないかと推理をする。

ブルネッティはロッシの財布の中にあった電話番号のメモから、ある弁護士事務所に連絡をとる。その事務所にはふたりの弁護士が働いていたが、そのうちの一人がロッシの死の数週間前、窓の外から何者かに銃で撃たれて死亡していた。「偶然」を信じないブルネッティは、二つの殺人の接点を探る。

 

今回もブルネッティの上司の警察所長パッタは、ブルネッティの足を引っ張る役割で登場。彼の息子ロベルトが本土のバーで、麻薬を所持しているところを当地の警察に逮捕される。(ヴェニスの人たちは島に住んでいるため、それ以外の場所を「本土」と読んでいるのである。)パッタはブルネッティに、彼の息子の名前が公にならないようにマスコミに圧力をかけることを依頼する。

 

第三の殺人が発見される。それは「殺人」と読んで良いものなのかさえはっきりしない。建築を勉強する学生ランディが、アパートでヘロインの入った注射器を腕に刺したまま死亡していた。麻薬中毒者の単なる事故のようにも見える。確かに彼はかつて麻薬をやっていた。しかし、身元確認に来た父親の証言、新しい注射の跡がないという検視医の証言から、ランディの死に対しても、ブルネッティは単なる事故ではないのではないかという疑問を抱く。

 

ブルネッティは、地籍局の局長と、高利貸しが結託して、不動産を担保にした金の貸し借りによる不正蓄財をしていたのではないかと想像するが、決定的な証拠はない。彼はロッシの死亡していた改築中の空き家を再び訪ねる。そして、そこの最上階をねぐらにしている麻薬中毒者ゼッチーニを発見。彼がロッシの死んだ日にもその空き家に潜んでいて、何者かの口論を聞いていたことを知る。ついに証人が見つかったことをブルネッティは喜ぶ。

しかし、翌日またそこを訪れたブルネッティが見たのも、それはゼッチーニと、相棒の少女の死体であった。またしても、口止めの為の殺人が行われたのである。

落胆するブルネッティ。しかし、検視医の発見が、彼に犯人逮捕の最後の望みを与える。殺された少女はエイズに感染しており、彼女は殺人者の腕の一部を自分の歯で噛みちぎっていた。

事件の黒幕がどのように暴き出されるかという興味に加え、ブルネッティの住居が取り壊しを免れるかどうかという興味も尽きない。

 

しかし、今回の話の展開には、不自然さを感じた。殺された地籍局の職員、麻薬で死んだ学生、このあたりは納得のいく展開である。しかし、殺された弁護士、高利貸しの老夫婦への接近、麻薬で死んだ学生と話題が展開していく上で、ブルネッティの頭の中で、これらがどのように結び付けられていくか、今ひとつわからないのである。次の推理と行動に至る必然性が弱いように感じた。

また、物語にも他の作品のような盛り上がりが欠けていたという印象。これは、戦う相手を「腐敗した役所」と「麻薬」の二つにしてしまったのが原因ではないかと思う。「腐敗した役所」と戦うならば、一部の人間の腐敗にとどまらず、日本の外務省の「機密費」のような、もっと組織ぐるみの巨悪と戦って欲しかった。また「麻薬」と戦うのならば、巨大なシンジケートと戦って欲しかった。作者が今回二兎を追ってしまった気がするのは、私だけだろうか。

 

興味深いエピソードもある。ブルネッティの妻のパオラが、彼の仕事ぶりを「窓拭き仕事」に喩えるのである。窓ガラスを一生懸命磨く。きれいになったと思って窓を閉め、部屋の中から外を眺めると、まだ曇りがあるのが分かる。その部分を磨く。これで一点の曇りもなくなったと思って窓を閉め、中から再び眺めると、まだ汚れが見つかる。つまり、角度変えて別のアングルから見ないことには、本当にきれいになったかどうかは分からないと言うのである。

警察の捜査も然りというのがパオラの意見。ひたすら証拠を調べ、人間を追い「悪」を追い込むことに集中することも大切だが、一度、一歩下がって外から観察することにより、どこに「悪」が潜んでいるのかが本当に良く分かると言うのである。これは、警察の捜査だけではなく、全てに当てはまる教訓であろう。

 

最後に。毎回、決まった役割でしか登場しないことが分かっていても、なおかつ、署長のパッタは「どうしようもないおっさん」である。腹が立つのである。