「転倒」

原題:Knock Down

ドイツ語題:Zuschlag 「落札」

1974

 

 

<はじめに>

 

ディック・フランシスの二冊目を読んだ。馬の仲買人の世界を舞台にした物語。かなりパターンが見えてきた感じがする。ストーリーも面白いが、ちりばめられた軽妙な会話とユーモアが楽しい。あたかも映画化を意識しているかのように、有名女優が演じることのできる若くて、美しく、聡明な女性が絡んでいるのもパターンなのか。

 

<ストーリー>

 

ジョナー・ディレハムはかつて障害レースの花形騎手であったが、今は引退し、サラブレッドの仲買人に転じている。彼は、アメリカ人の女性、ケリー・サンダースから、馬を買い付けるよう依頼を受ける。ケリーは大金持ちのコンスタンティン・ブレヴェットの歓心を引こうとしていた。そして、そのためにコンスタンティンの息子でアマチュア騎手であるニコルに、誕生日のプレゼントとして、馬を贈ることを思いついたのだ。

ジョナーとケリーは、晩秋の冷たい雨の降る日、アスコット競馬場で行われるサラブレッドの競り市にやって来る。ジョナーはケリーのために、「ハースプラー」(霊柩車の引き馬)という馬を競り落とす。帰り道、ジョナーはふたり組の男に襲われる。男たちはジョナーとケリーに競り落とした馬を譲るように脅迫し、強引に権利書を奪い、代金を叩きつけ立ち去る。

ジョナーはロンドンの南に、兄のクリスピンとふたりで住んでいた。と言うより、失業中でアルコール中毒のクリスピンが、弟のジョナーの家に居候をしていると言ってよいのだが。ジョナーがアスコットから帰ると、兄は酔いつぶれて眠っていた。その夜、ジョナーが顧客から預かっている馬のうち一頭が、厩舎から逃げ出した。彼は別の馬で逃げた馬を追いかける。逃げた馬は高速道路で交通事故を引き起こす。ジョナーは、事故に巻き込まれて怪我をしたソフィーという若い女性を家に連れて帰り介抱する。近くのギャトウィック空港で、航空管制官をやっているというソフィーに、ジョナーは好意を持つ。

ジョナーは馬が逃げたことが、事故ではないことに気づく。誰かが厩舎から馬を引き出し、被せてあった明るい色のカバーを外した後、外に放したのだ。そして、その前に、台所にスコッチにボトルをクリスピンに見つかるように置き、彼が酔いつぶれるように仕向けていたのだ。

ジョナーは取られた馬の代わりに、仲間の仲買人を通じて「リバーゴッド」という馬をケリーのために準備する。その立会いに出かける途中、ソフィーの叔母ハンターコム夫人が馬の飼育をしているという縁で、夫人を訪れる。老婦人は、馬の仲買人は皆詐欺師であると批難する。ジョナーがその訳を尋ねると、彼女は仲買人から彼女にとって大変不利な条件で、育てた馬を売るよう強要されていた。

ジョナーが、彼がケリーに用意した馬を運搬するトラックと待ち合わせた場所に来てみると、運転手はふたり組みの男に囲まれていた。その男たちは、アスコットで、ジョナーを襲い、馬を取り上げて行った男たちだった。彼らは再び、ジョナーの買った馬の横取りを企てているのだ。怒ったジョナーは棒でひとりの男の腕に傷を負わせる。ふたりの男は目的を果たせず、逃げ去る。

ジョナーは無事、馬をコンスタンティン、ニコル・ブレヴェット父子に届ける。コンスタンティンは、英国競馬界では、多くの馬のオーナーとして有名であった。彼は、もう一人の大馬主である、ヨークシャー出身のウェルトン・ヤングと、競馬界の覇を争っていた。彼はヴィック・ヴィンセントという仲買人を通じて、自分のサラブレッドを売買していた。ジョナーが、老婦人から、飼育者に非常に不利な条件で、詐欺同様に馬を買っていた男が、そのヴィック・ヴィンセントであることを知る。ジョナーは、ここ最近、ヴィックのやりかたが、どんどんと悪辣になっていることに気づく。

ニューマーケットのサラブレッドの競り市で、ジョナーは、ヴィックの筋書きを妨害するかのように、ハンターコム夫人の馬を競り落とす。ヴィックは、仲間の仲買人と共に、ジョナーを取り囲み、ジョナーの抜け駆けを非難し、仲買人同士、自分たちの利益を守るため、自分たちと一緒に行動するように迫る。ジョナーはそれを拒否する。

ジョナーに味方も何人か現れる。ヴィックの仲間から、合法的ではあるが、不当な扱いを受けた飼育者や調教師が何人もいたのだ。ジョナーはヴィック一味と戦う決意をする。それを見ていた、米国人の馬のバイヤー、パウリ・テスカは、仲間の仲買人と一緒に行動しないと、いずれは身の危険がジョナーに及ぶことになると、忠告する。

テスカの忠告は正しかった。ニューマーケットから戻ったジョナーは、自分の厩舎が燃えているのを発見する。何者かに放火されたのだ。兄のクリスピンは燃える家の中から、危ういところで救出された。目撃者により、放火の実行犯は逮捕されるが、後ろで誰が糸を引いていたのかは分からないまま。その夜ジョナーはソフィーのアパートに泊まる。

ジョナーは、自分を陥れたのがヴィックとその仲間であると確信し、ソフィーと共に反撃の計画を立て、それを実行に移す。しかし、ヴィックのその仲間の後ろには、影の助言者、大物が隠れていたのだ。

 

<感想など>

 

この本を読むまで、サラブレッドの仲買人という商売があることを知らなかった。また、飼育者という商売もあるそうだ。馬を交配させてできた子馬を一年間育て、それを売るわけである。その売買の仲立ちをするのが仲買人らしい。一頭の馬が、ずっと一人のオーナーの所有であることは稀で、何回か持ち主が変わるのも普通らしい。その取次ぎをするのも、仲買人の仕事らしい。

競馬そのものも博打であるが、それ以上に、競走馬の売買も博打であると言える。まだ一回もレースにでたことのない子馬を何百万円、何千万円で購入し、その馬が首尾よく走ってくれれば儲けが出るが、実際には、期待したような走りをしない馬の方が決定的に多いのだから。そんな、博打性の高い取引を生業とする仲買人である。当然、一癖二癖を持った人物が揃っていると考えられる。

その中で、主人公のジョナーは人格高潔の士だ。彼は、ヴィック・ヴィンセントとその仲間の「合法的に儲かれば、何をやってもいい」、「損をするのは馬鹿な奴ら」という理論から、自分自身を独特の倫理観で守り抜く。私はその倫理観を支えているものが、ジョナーの騎手としてのキャリアだと思う。自分が真剣勝負で戦い抜いた世界を、彼は、利益第一主義の仲間に荒らされたくなかったのだと。

 

物語の展開は徹底している。前半に相手側に存分に打たせて、後半に反撃をすると。「明日のジョー」的展開だ。前半、ジョナーはまとめた商談は邪魔され、預かった馬が交通事故のトラブルを起こし、挙句の果てに自分の厩舎に放火され、彼の兄クリスピンはその家事で危うく命を落としかける。打たれっぱなしの展開である。

後半、彼は反撃に転じる。反撃の第一歩は、相手方の一人を懐柔して、自分の陣営に引き込むことだ。あわや命を落とすという危機を逆に利用して、ジョナーは相手の一人を味方に引き入れ、彼から得た情報を切り札に使いながら、勝負を挑んでゆく。まだ二作を読んだだけなので、確かなことは言えないが、このような展開は、フランシスのいわゆる「型」かも知れない。

もうひとつ「型」があるとすれば、それは主人公が美しい女性と出会うことだろう。ジョナーが出会った女性は、航空管制官。もちろん、頭は悪いはずがなく、顔も人並み以上。パイロットの恋人と死別して、現在一人身という、ちょっとできすぎた設定だ。おまけに、伯母が、馬の飼育者であり、悪徳仲買人の被害者。少し度を越し、不自然なきもする。

 

微妙でかつ重要な役割を果たすのが、ジョナーの兄のクリスピンだ。アル中。酒を飲んでいるときは高飛車にでるかと思えば、自分は存在価値のない人間だと落ち込む。ジョナーの敵に利用され、放火された家の中で危うく死にかける。しかし、彼は最後には結構重要な役割が待っていたのだ。憎めないキャラクターだ。

最後に一連の事件を裏で操っていた黒幕が明らかになるのだが、実はこれが見え見え。消去法で、登場人物の中からひとりずつ消していき、最後この人物しか残らないという人物がやはり黒幕。もう一工夫欲しいところだ。

 

この本を読んで、「ザ・タイムズ」の競馬欄や、テレビの競馬中継を見始めた。冬の間はフラットレースではなくて、もっぱら障害レースが行われること、障害レースにも、低い障害を高速で駆け抜ける「ハードル」と、高い障害や水濠を跳び越える「スティープルチェイス」の二種類あることを始めて知った次第。

 

ユーモアに満ちた文体、至るところで思わず笑ってしまい、その意味では結構楽しめた。

 

200511月)

 

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