ボンへ

10キロ地点、まだまだ余裕がある。

 

 四月二十日、日曜日。妻と僕は六時半に起きて、フロントで「ランチパック」を受け取って、歩いて十五分ほどのケルン中央駅に向かう。切符売り場で、ボン往復の切符を三人分買い、プラットフォームに上がる。ワタルが見当たらない。心配になり携帯に電話すると、もうプラットフォームにいるとのこと。柱の陰から携帯を持った息子が現れた。

 ケルンからボンまでは特急で一駅、わずかに十七分である。僕らの乗った列車はドルトムント発、クラーゲンフルト行き、オーストリア国鉄の車両であった。七時間以上かけてオーストリアまで走る国際特急列車の、最初の方、十七分だけを利用するわけである。

車内で、弁当を開ける。チーズと生ハムのサンドウィッチ、ジュース、ゆで卵、チョコレート、リンゴ、ヨーグルトとなかなか豪華版である。生ハムのサンドウィッチとジュースで朝食を取る。ワタルはマラソン前の定番メニュー、バナナを食べている。

 七時三十五分にボンに着く。気温は七、八度と言うところ。結構寒いが、走るのにはちょうど良い気温である。ゼッケンを受け取るために、ミュンスタープラッツにあるマラソンメッセのテントに向かう。僕自身がボンマラソンに二回出場しているので、道順と段取りは慣れたものである。そこで、息子は計時用のマイクロチップとゼッケンを受け取る。テントの中で息子は着替えている。サッカーの日本ナショナルチームの青いシャツを着て走るようだ。脱いだ荷物を袋に詰めて、荷物係りに預け、スタートラインに向かう。スタートはアルトシュタットの真ん中。ハーフマラソンだけで出場者が六千人とのこと、柵に沿って、延々とランナーが並んでいた。ワタルは柵を乗り越えて、前から四分の一くらいの場所に潜り込んだ。

 妻と私は、スタートラインから百メートルほど離れた場所に陣取る。カメラのレンズを望遠に変え、息子が来るのを待つ。大勢のランナーに混ざって、息子も元気に通り過ぎて行った。

息子には、前半は呼吸が乱れないくらいに楽に行き、後半にかけろとの指示を与えていた。タイムを狙うのではなく、完走を狙う場合、後半に大勢のランナーをごぼう抜きする展開にすることが、精神的にも肉体的にも楽で、最後までつぶれないで走る「コツ」であることを知っていたからである。僕はフルマラソンの完走は十回だけであるが、ハーフマラソンはこれまでの人生で、百回以上走っていると思う。もっとも、もう二度と走れないので、この回数は増えることはない。

息子を見送ってから、僕と妻は、ケルンの旧市街とドイツ地区を結ぶ橋の上へ移動した。ここにいると、八キロと十キロ両地点で、応援できるからである。ライン河に架かる橋の上は風が強くて寒かった。僕の前を、途切れることなく、延々と老若男女が通り過ぎて行く。僕はそんな光景に慣れていない。これまで走る方だったので、走っているランナーの視点でしかレースを見たことがないのである。応援者の視点でレースを見るのは初めて。何か変な感じがして、全てが違って見えた。

 

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