祇園一力茶屋

 

日本を発つ前日、ジョギングと朝食を終えてから、親戚にロンドン土産を渡すため、東大路方面のバスに乗った。その日は、十一時半に四条烏丸で和泉と待ち合わせて、一緒に昼食をとることになっていた。親戚の家に三十分程いてから、僕はまたバスに乗り、祇園の八坂神社の石段下で降りた。約束の時間にはまだ十分過ぎるほどあるし、天気も良いので、僕は四条通を西に向かってぶらぶら歩き出した。

祇園に来るなんて、何年ぶりだろう。しばらく歩くと、左側、花見小路通りとの角に一力茶屋の赤い塀が見える。忠臣蔵七段目で由良之助が滞在する有名な料亭だ。忠臣蔵と言えば、数日前、今は亡き桂枝雀の落語「地獄八景」のCDを買った。あの世の芝居小屋で忠臣蔵の通しを上演するのだが、名優は殆ど全部あの世に来ている。それで、役を一代目から十一代目の団十郎で固めてしまう。誰が出てきても掛け声は「成田屋!」だけと言うのには笑った。

しばらく行くと、同じく右側に毎年暮れに顔見世をやる南座。高校時代、僕はこの前でバスを降り、京阪電車に乗り換えていた。

四条大橋を渡って先斗町。今回、母が俳句で賞を取ったが、連作はこの先斗町を舞台にしたものだった。佳作になった人は、スペインを旅行し、トレドだったかの経験を詠んでいた。片や先斗町、こなたスペイン。

「お母さんは安上がりで、良かったね。」

と僕は冗談を言った。素人の僕が見ても、母の句は良く出来ていた。僕も自分でエッセーを書くのでよく分かるのだが、絵を書く人、俳句を読む人などの「芸術家」は、普通の人が見過ごしてしまうような事でも、実に詳しく観察している。僕は母にそれを感じた。

 少し寄り道をして、木屋町通りを曲がり、高瀬川に沿って歩く。最近、近くにあった学校が廃校になり、雨後の筍のように風俗営業の店が増えたと母に聞いた。それを確かめたかったのだ。果たして、数百メートル行く間に、何度も

「お兄さん、今なら三千円ぽっきりよ。」

と声を掛けられた。午前十一時に、三千円ぽっきりで、一体何をさせていただけるのか、確かめたい気もした。

十一時半少し前に四条烏丸に着き、道端で立ったまま本を読んでいると、ポンと肩を叩かれた。顔を上げると和泉の笑顔があった。数日前までインフルエンザで寝ていたという彼女は、少しやつれて見えた。一緒にトンカツ屋で食事をして、コーヒーショップで一時間ほど話をした。楽しい話題もあったし、あまり楽しくない話題もあった。お互い、良い歳だもの、色々あるのは仕方がないよな。和泉は阪急電車で帰るので、その改札口で別れた。別れ際、彼女の目に見る見る涙が溜まり、彼女は泣き出した。「元気出して。Think positive.」僕が言えるのはそれくらいだった。彼女は改札を抜け、階段を下りて行った。見えなくなる直前に和泉はまたこちらを振り返った。  (了)

 

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