誕生日

 

 福岡から戻った四月十九日から、出発する二十三日の間は、京都の実家でのんびりし、両親と一緒に時間を過ごすことにした。朝起きて、一緒に朝食をとって、少しうろうろするか、父と話をするか、本を読むか、エッセーを書くかして、日中を過ごす。夕方五時ごろから銭湯へ行き、六時から夕食、その後、野球の阪神戦の中継を見るか、父は早く床に就くので、夜はもっぱら母と話をする。そして、自分も十時前には眠るという生活。

 四月二十日は、私の誕生日である。アドルフ・ヒトラーと同じ日、余り嬉しくないお連れである。ちなみに、エリザベス女王は、一日前の十九日。誕生日の午前中はゲンシ君と美術館へ行き、夕方になり、例によって、近所の銭湯、「船岡温泉」に行った。外人さんがひとり入っていたので、英語で、

「どこから来たの。」

と話しかけてみる。オーストリアのウィーンからとのこと。次の会話からはドイツ語になった。ドイツ語圏の人間って、下手でもいいからドイツ語で話しかけると、本当に嬉しそうな顔をする。基本的に、ドイツ人は「ドイツ語は難しいから(言い換えれば高級な言葉であるから)外国人には向かない」そう思い込んでいる人が多いようである。その辺りが、「外国人でも誰でも、英語、フランス語は話せて当然」と思っている、英国人、フランス人とは、感覚が違う。

 その日はオーストリア人であったが、その次の日には白熊のようなスイス人と会った。彼はジュネーブの近く、フランス語圏の出身なので、英語で話をした。翌日は、ドイツ人の四人組と出会い、またドイツ語で会話。京都で外国人と交流したかったら、銭湯に来るのが一番、文字通り「裸のお付き合い」ができる。この「船岡温泉」、日本では「地球の歩き方」に当たる、英語版の貧乏旅行者用観光案内書「ロンリー・プラネット」に紹介されているのが、外国人旅行者の押しかける理由らしい。

 サウナに入っていると、今度は一人の日本人のおじさんが話しかけてきた。

「兄ちゃん、あんた、ほんまに語学が達者やな。誰とでも、何語ででも、話してるやんか。」

この銭湯の常連と思しき彼はそう言った。彼は、自分は近くの紫野小学校(姉の母校)の教師であると、自己紹介した。私は彼に、昔ドイツに住んでいて、今英国に住んでいるので、英語とドイツ語は喋れるけれど、単にそれだけであることを伝えた。

 話は誕生日に戻る。長風呂でたっぷり汗をかいた後、いつものように「ローソン」で缶ビールを買い、六時に実家に戻る。私の誕生日と言うことで、母が赤飯と鯛の兜煮をこしらえてくれていた。早速ビールを飲みながら、それをいただく。鯛の頭は三角形をしているが、その一辺が十センチはあろうかという、立派なもの。私は、鯛にしろ、鰤にしろ、鮭にしろ、頭やアラが大好物なのである。目玉の周囲の、ゼリー状の部分は特に美味しい。鯛の頭には「鯛骨」と言って、鯛の形をした骨があると言う。私は食べながら骨をより分けていった。そして、ついに鯛骨を発見!そんな、つまらないことが嬉しかった。

 

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