宇都宮へ

 

 帰国まで後三日、本来なら、この三日間は、実家でゴロゴロして過ごすところだが、今回はまだもうひとつ行くところがある。宇都宮だ。

 去年一時帰国をしたとき、従姉妹(父の弟の娘)のサチコさん、さっちゃんから、息子さんが結婚された旨、ご主人の転勤で宇都宮へ転居された旨を伝える手紙が父宛に来ていた。彼女とはもう三十数年会っていない。住所が書いてあったので、手紙を書いた。彼女からすぐ返事が来た。

さっちゃんは結構筆まめな人。それからも一週間に一度くらい、メールのやり取りをしていた。そのうち、彼女も、彼女のご主人も熱狂的な阪神タイガースファンであることがわかった。ご存知の人はご存知だろうが、僕はロンドン、タイガースファンクラブの世話役をやっている。タイガースファンは、時間と空間を乗り越えて団結するのだ。こうなるとお互い話は早い。メールの内容が俄然タイガースの話題で盛り上がりだした。

 それで、今回の僕の一時帰国を利用して、三十数年ぶりに会おうと言う事になり、五月三十一日の夕方、僕が宇都宮へ行くことに決めたのだ。その日、阪神は交流戦で西武と対戦。旧交を温めあうとともに、一緒に試合を見て盛り上がろうという計画。ちなみに彼女のアパートには「スカパー」なるものが入り、プロ野球の全試合が見られると言う。

 五月三十一日、木曜日、朝プールで泳いでから、午後一時の新幹線で東京へ向かう。京都は晴れていたが、東に向かうとともに天気が悪くなる。四時前に東京駅に着き。東北新幹線のホームに向かう。

 自分が「鉄道オタク」であることが判明したので、また列車についてのウンチクを書くことにする。東北新幹線の列車は独特だ。仙台行の「やまびこ」と新庄行の「つばさ」が、あるいは八戸行の「はやて」と秋田行の「こまち」が連結しる。つまり、皆「おつなぎ」で走っているのだ。流線型の新幹線の先端が開いて、連結している様はなかなか面白い。僕の乗る、二階建ての仙台行「MAXやまびこ」は、前の方に、一階建ての「つばさ」をくっつけていた。

 東京駅を出て、大宮を過ぎる頃から、雨が降り出した。暗い空に稲妻が空を走る。大宮を過ぎてしばらくして、上越新幹線の線路が分かれて行く。列車は五時前に宇都宮に着いた。東京近郊の県庁所在地にしては、ずいぶん小さい町のように感じた。

 

 

変わらないふたり

 

新幹線の改札口を出ると、さっちゃんが立っていた。三十何年ぶりに会うので、お互い分からないといけないと思い、青い「LAドジャース」の帽子をかぶっていくからと、電話で伝えてあった。

「そんなんなくても一発で分かったわ。ちょっとも変わってはらへん。」

と彼女は言った。それはお互い様。彼女の家で昔の写真を見せてもらったが、彼女が小学校の頃の写真と、現在の彼女を目の前で重ね合わせてみる。

「どこが違うねん。」

 僕とさっちゃんは、小雨の中歩いて、彼女のアパートに向かった。道は、商店街から、川沿いのポプラ並木に変わった。道々、ふたりがこの三十数年間の間、何をしてきたか、手短に紹介し合った。彼女はご主人の転勤で、大阪、埼玉、また大阪、そして今度は栃木と動いてきた。息子さんは二人とも結婚されて、今はご主人とふたり暮らし。どこに住んでも、関西弁と、阪神ファンは貫いてきたとのこと。偉い。

ご主人が自動車のホンダにお勤めとは知っていたが、息子さんふたりもホンダに就職されたと言う。うちの息子なんか、絶対に父親と一緒の会社には就職したがらないと思う。

「私も、昔、ホンダに勤めていたの。ウチはホンダ以外から給料貰うたことがないねん。」

彼女はそう言って笑った。

 アパートに着く。壁に掛かった「勝っても負けても虎命」と書かれた縦縞のユニフォームと、トラッキー(タイガースのマスコット)の時計が目を引く。

 さっちゃんは、僕のために、昔の写真を出しておいてくれていた。それを見ると、僕の姉、僕、そして彼女と三人で写っている写真が多いことに驚く。三人とも年が近かったし、住んでいる場所も近かったので、父が僕と姉をどこかへ遊びに連れて行くときは彼女を誘い、叔父が娘をどこかへ連れていくときには姉と僕を誘ってくれたことが多かったのだろう。

 しかし、彼女と最後に会ったのが、三十数年前であることが、どうして信じられなかった。これって、やはり親戚同士だから感じるのだろうか。

 

 

久しぶりの連打

 

 六時に甲子園の試合が始まった。その日も、三振に討ち取ったものの、振り逃げのボールをキャッチャーの狩野君が蹴っ飛ばし、その直後にホームランを浴びるという、嫌な立ち上がり。

六時半過ぎに、ご主人の和田さんが帰って来られて、夕食となる。ご主人は初対面なのだが、全然そんな感じがしない。さっちゃんの手料理はなかなか美味しい。料理をいただきながら、最初はビールで、その後はぶっかき氷と焼酎。もちろんテレビの中継を見ながら。これまでタイムリー欠乏症だったタイガース、その日は久しぶりの連打が出て逆転勝ち。三人は大いに盛り上がった。

夜十一時ごろに、勧められて風呂に入った。何と、風呂にもテレビが付いていた。テレビでは阪神戦のダイジェストをやっていた。勝った試合は何度見ても気持ちが良い。風呂から上がって、床に就いた。翌朝、隣の部屋で寝ているさっちゃんの目覚まし時計が聞こえてきた。メロディーは「六甲おろし」。

和田さんは僕の為に、その日、休暇を取ってくれていたそうだ。ご好意に対して申し訳ないが、その日の午後また区役所へ行って、転出届けを出さなくてはいけないし、その翌日の関空出発が早いので、十時の新幹線で、また京都に戻ることにした。わずか十七時間の宇都宮滞在。

さっちゃんとご主人が、朝食後、宇都宮駅まで送ってくれた。

「お愛想なしやったね。」

とさっちゃんが言った。

「ううん、一緒に野球見られたし、阪神が勝ったし、すごく満足。」

それが僕の正直な気持ちだった。

 宇都宮駅の前に、一見「踏み潰されたゲゲゲの鬼太郎のお父さん」のような変な像が建っていた。何と、それは餃子、ギョウザの像だと言う。宇都宮は餃子の街とのこと。知らなかった。僕が「みどりの窓口」で指定席を取っている間に、さっちゃんがお土産に餃子を買っておいてくれた。この餃子、僕は結局食べる機会がなく、父母が食べることになるのだが。

和田さんと、さっちゃんと話をしながらホームで乗る列車を待っている。前を、山形行きや、盛岡行きの列車が停まっては、発車していく。それを見ていると、このまま京都へ、そして明日の朝関空からロンドンへ帰らないで、北へ向かう列車に乗って、そのままどこかへ行きたくて、たまらなくなった。

芭蕉は「奥の細道」の序で「予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず」と書いている。おりしも東北地方の入り口の地、宇都宮で、この「漂泊の思い」の意味が分かったような気がした。

「来年もまた寄せてもらうわ。今度はもうちょっとゆっくりね。」

僕はふたりに礼を言って列車に乗った。オール二階建て「MAXやまびこ」のグリーン車は二階席。二階席の窓から、手を振るさっちゃんとご主人の姿が遠ざかって行った。

 

 

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