千の風になって

 

忘れかけていたが、七五三も近いのだ。

 

日曜日の夜、今ではすっかりロンドンの誰かが金沢に帰ったときの恒例となってしまった感のある、お義父さん主催、「焼肉レストラン行き」があった。参加者はロンドンからの家族の誰かと、義父母、妹夫婦とその息子たち(カッチとヒロ)。この日も七時十五分前には全員が揃い、実家から歩いて一分の焼肉屋へ行った。

 

僕が滞在中、妹のチエミはちょいちょい実家に顔を出すので、彼女とは話す機会がある。しかし、義弟のカツミと話すのは、この焼肉屋行きが唯一の機会ではないだろうか。彼はどう思っているか知らないが、彼とは、お互いにないところを補い合う良いコンビだと、自分では思っている。働き者で、日曜日もノンビリすることのない彼に、

「今日は何していたの。」

と尋ねると、

「中央公園の朝市で野菜を売ってたけど、昼前に売り切れて帰った。」

とのこと。一足違いで会えなかったのだ。

 

レストランに入るや、今年から働きだしたカッチが、テキパキと皆の注文をまとめる。

「やっぱ、社会人になると手際が違うのう。」

という義父の賞賛を受けている。

生ビールの大ジョッキが、義父とカツミと僕の前に並べられ、肉が焼かれ、宴が始まった。今日の話題の中心は、「おじいちゃんの銀色スプレー事件」だ。

義父母が、時折車で現れる孫たちのために、家の前の駐車スペースを広げようとした。そして、それまでツツジの植わっていた花壇を潰し、そこをコンクリートにする計画を立てた。「何でも出来る器用なカツミさん」がそれを引き受けることになってしまい、彼と息子のヒロが二週間前の週末に一日半をかけて、花壇の撤去とその場所のコンクリート化作業を行い、それは無事終了した。

翌日義父は、コンクリートの古い部分と、新しく敷いた部分の色の違いが気になった。灰色のラッカーを塗ってしまえば、色の違いはなくなるわい。そう考えた義父はスプレー式のラッカーを買ってきて、それを床に吹き付けた。しかし、実はそれは灰色ではなく、銀色で、表面はテカテカに光ってしまった。

「お父さん、それじゃ、あんまりみっともないじゃありませんか。」

という義母の意見で、義父は今度はセメントを、ラッカーの上から全体に薄く塗り重ねた。そのセメントがすぐにひび割れて、車やタイヤを汚すとカッチを始めとする駐車スペース利用者から苦情が出ているというのだ。

これら全てが笑い話として語られ、皆が大笑いをし、義父もそれを笑いながら受け流している。これでこそ家族だと思う瞬間だ。

 

カツミは快調に大ジョッキを三杯空にして、さらに中ジョッキを追加している。昔は彼と張り合えたのだが、今そんなことをすれば、明日命があるかどうか分からない。ビールもほどほどにして、最後はウーロン茶を注文する。三時間ばかり、皆でワイワイと騒ぎ、妹一家は、彼女の運転で山ひとつ向こうの別所の里へと引き上げて行った。

 

月曜日。これと言って予定はない。昨夜それほど激しく飲まなかったので、二日酔いもない。(昔は、義弟と一緒に飲んだ翌朝の二日酔いはひどかった。)

八時ごろに起きだし、義父と一緒にまた大リーグの優勝決定シリーズを昼間で見てしまう。昼過ぎ、義母と、歩いて十五分ばかりの金沢市営プールまでいき、そこで四十分ほどふたりでノンビリと泳ぐ。プールを出てから、

「隣の薔薇園を見て行きましょうよ。」

と義母が言う。この時節にバラ(?!)、へんな気がする。ロンドンでは考えられない。しかし、プールの横のバラ園にはまだ何百本ものカラフルなバラが咲き乱れていた。本当に日本は暖かいのだと思う。辺りはバラの匂いに満ちている。老人ホームの遠足であろうか。十数人の車椅子に乗った方も含めた老人たちが、記念撮影をしていた。

「さあ写しますよ。」

の職員の声に応える、老人たちの笑顔が実に可愛らしい。

 

その日の夜、義父母は僕を回転寿司に連れていってくれた。金沢の回転寿司は侮りがたい。富山県の氷見などの漁港からネタが直接来るからだ。寿司は腹がすぐ一杯になるので多くは刺身にしてもらい、熱燗でいただく。白身魚も、ボッテリしたブリトロも跳ねるようなイカゲソもたまらない。イクラは海苔ではなくダイコンのかつら剥きで巻いてあり、この方が美味しいねと義母が言った。今日の父は、応援していたレッドソックスが敗れたせいか、何となく無口だ。

 

寿司屋から戻ってテレビをつけると、クライマックスシリーズ、阪神・中日戦をやっていた。今日勝った方が第二ステージに進む。最終回、零対零、阪神は藤川が登板。ウッズの売った球は一瞬「やった、打ち上げた」と思ったのだが、意外に延びて外野の二階席まで飛んだ。サヨナラホームラン。「全ては終わった・・・」僕は躊躇なくテレビのスイッチを切った。そして、代わりに電子ピアノのスイッチを入れて、ピアノを弾きだした。

 

十月三十日。京都へ戻る日だ。六時前に目が覚めると天気が良い。妹夫婦の住む別所へ歩いてみることにした。今から出ると朝七時という、普通の家ならとんでもない時間に訪問することになるのだが、妹の婚家、高野家は皆早起きであることを僕は知っていた。墓地で覆われた大乗寺を越え、朝もやのたなびく竹林の中を歩き、七時に高野家に着く。「七時十五分前には家を出る」と言っていたカッチがまだ家にいた。彼は弁当を持って慌てて飛び出していく。高野家のお父さんとお母さんに挨拶をして、しばらく話をする。

帰りも歩いて帰るつもりだったのだが、ぼちぼち柿が色づき始め、熊が出ると危ないというお父さんの助言で、帰りは妹が車で送ってくれた。(実際近年熊がよく出る。)

 

その日は午前中大リーグの野球がなかった。ピアノを弾く。暮れにベートーベンの第九を歌うという義母が好きな「千の風になって」を聴かせてあげようと、僕は数週間前から練習を始めていたのだが、準備不足。上手く弾けない。それでも義母は拍手をくれた

朝もやの中、山を越えて別所に向かう。

 

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