時代祭とデイサービス

 

「ほら吹き」おじさんと。京都御所。

 

十月二十一日、午後、金沢を発って京都に戻る。今日は大リーグの野球の中継がないので、義父は金槌と鏨を持ち出し、駐車スペースに塗った、ラッカーとセメントをめくるのに余念がない。

義父母の見送りを受けつつ、金沢十二時五十三分発の「サンダーバード」に乗り込む。列車の中ではもっぱら眠って過ごした。

京都に着くと、義父から電話あった。金沢で電気屋に預けたソニーのパソコンの修理が可能だという。やったー! 四万三千円かかるがよいかとのこと。一も二もなく承知をする。

 

夕食までの間に、銭湯「船岡温泉」へ行く。日本へ来てからしばらくは、日本人に囲まれていると、どうも居心地が悪い。大勢の日本人の中にいることに慣れていないのだろう。反対に、たまに外人を見つけると何となく仲間意識を感じてしまう。(もちろん、彼らにとって僕は大勢の日本人のひとりに過ぎないのだが。)

銭湯で、ふたりの外人のお兄ちゃんがイタリア語と思しき言葉を話していた。思わず声を掛けてしまう。フィレンツェから来て、旅行中だという。日本語を覚えたかと聞くと、

「ナマチュウイッパイオネガイシマス(生中一杯お願いします。)」

はとりあえず大丈夫との事。オレの知っているイタリア語は、

「ウナ・ビッラ・ペルファボーレ。(ビールを一杯お願いします。)」

だけだと言うと、ふたりは声を出して笑った。

 

母がふぐ鍋を夕食に作ってくれた。夕食後、ガダルカナル島から一時帰国しているG君から電話があり、明日の昼なら会えるとの事。彼の家が御所の近くなので、十一時に蛤御門の前で会う約束をした。(その時ふたりとも、翌日が時代祭で、御所がそのスタートだということは知らなかった。)

 

 十月二十二日、水曜日は、父がデイサービスに行く日である。朝食の後、八時半ごろ、若い活発なお姉さんの運転するミニバスが家の前まで迎えに来て、父はそれに乗って行った。その職員のお姉さんに、

「私息子なんですけど、後で、見学させていただいていいですか。」

と尋ねてみた。

「最終的に責任者に聞いてみますが、今日なら大丈夫のはずです。」

との返事。母と一緒に、父の乗った赤いミニバスを見送る。

その後、しばらく、父が退院してきた直後のこと、デイサービスに行くに至った経緯などを母から聞いた。母は父のリハビリのために、時にはわざと「つきはなして」手伝わないことにしているらしい。その辺りで父が時々不満らしいが。しかし、一番父の近くにいて、ずっと父の世話をしている母の判断に委ねるしかない。

「後期高齢者が後期高齢者を看てんねんから。」

と母は何度も言った。

 

 十一時に蛤御門でG君に会うために十時過ぎに家を出た。出掛けに、母に、

「今日は時代祭やさかい、えらい人手え。」

と言われたが、実際その通り。今出川までは順調に歩けたが、その後は歩道に人があふれていて、蛤御門には五分遅れで到着。昨年の大晦日、G君とはガダルカナル島、ヘンダーソン飛行場で別れて以来だ。その間に無数のメールのやり取りがあるので、時間の流れは感じない。

 蛤御門辺りが、時代祭の行列の出発点であるらしく、色々な時代の、色々な装束を付けた人たちが思い思いに待機している。古代人がサンドイッチ食ってたりして、そのごちゃ混ぜさが面白い。観光客が、色々な装束をまとった人たち被写体にして盛んに写真を撮っている。「白川女」、「大原女」「静御前」のような女性はやはり、カメラマンに人気があるようだ。

 武者の格好をして(ムシャムシャと)握り飯を食っている男性がいたので、ちょっと聞いてみる。彼は「法螺貝」を吹くという特技の持ち主だそうで、その「ほら吹き」の特技を買われて、毎年武者姿で参加しているとのこと。(僕の周りにもほら吹きは何人もいるけどなあ。)

 馬の世話をしているお姉ちゃんは「立命館大学の馬術部」の方だという。「馬も馬術部のものなの」と聞いてみると、行列用の馬は京都御所の中に飼われているのだということであった。

 十二時になり、何故か「ミス・インターナショナル」のきれいなお姉さん達を先頭に、行列が出発していく。新しい時代から、次第に古い時代に遡るとのこと。出発点では説明があるので分かりやすい。しかし、出発してから三十分ほどして、雨が降り出した。雨の中、これから御池通りをゴールの平安神宮まで進む行列がどうなるのかは知らない。ともかくG君と僕は蛤御門の内側にあるうどん屋に非難して、うどんを食った。

 

 午後二時ごろにG君と別れる。彼ほど次にどこで出会うか予測できない人物も珍しい。雨の中を今出川通、堀川通と歩き、三時ごろに父のいる「成逸デイサービスセンター」に着いた。ここは元小学校だったのだが、少子化で小学校が統合され、空いた場所をデイサービスセンターに建て替えたものだ。

 受付で名前と来意を告げると、テーブルに案内され、間もなく女性がお茶を持ってきてくれた。テーブルが七つばかりあり、男性四人がひとつのテーブル、残りは全部女性、つまりお婆さんたちで占められていた。ゲームが行われているが、よく見ると、興味を持って「参加」しているのは数人で、残りははただそこにいるだけっていう感じ。

 父が僕の姿を見つけて、僕のテーブルに移ってきた。

「同じテーブルの男の人と喋る話題も尽きたし、本当は、こんなことせんと、ソファに寝転んで、居眠りするか新聞でも読んでたいんやがなあ。」

と父は言った。しかし、風呂は広く、入浴は快適だそうである。(後で、責任者の

サトウさんに施設を案内してもらった僕も、風呂は立派だと思った。)

「ええがな、風呂に入りに来てると思えば。」

僕は父にそう言った。

 

圧倒的に女性の多いデイサービスセンター。男も長生きせなあきまへん。

 

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