西別院へ

 

熱演するH先生。

 

夕方、イズミから「解放」された後、その夜は「婚活」中の姪のカサネと実母と三人で食事をした。カサネは数年来韓国語を勉強している。韓国へも何度か旅行しており、韓国語が話せることで、旅先でなかなか楽しい体験をしているらしい。そらそうや。日本人の可愛い娘が自分の国の言葉で話してくれたら、韓国人の男性も絶対親切にするで。その状況は、ドイツ語を話す外国人として、ドイツ人にとても親切にしてもらっているので良く分かる。まして若い女性ならなおさらだろう。

カサネには日本でも韓国人のボーイフレンドがいたが、結婚とは結びつかなかったらしい。本人同士気が合っていても、「家」が絡んでくると話がこじれ、結局相手の男性も、両親の意見に従うのが普通であるという。韓国では、まだ完全に自由恋愛ではないらしい。そのギャップが、韓国ドラマが日本で人気のある理由かどうかは知らないが。

カサネには何時も言うんだけど。「お見合いパーティー」も良いよ。でも、「結婚したい」という気持ちが余りにも強すぎると、そのオーラが周囲に感じられて、男は引いてしまうもの。女性が何かに打ち込んでいる姿に男は一番魅力を感じるものなのだが。

ともかく、彼女に早く良い伴侶が見つかることを、僕は祈る。

 

十月二十五日、土曜日。朝食後父は手紙を書いている。しばらくすると、外用の杖を突いて、玄関から出て行こうとする様子。

「どこ行くん。」

「ポストまで郵便出しに。」

「付き合うで。」

「いらん、かまへん。」

そんな会話の後、

「天気も良えし、ちょっと散歩に突き合わさせてえな。」

ということで、父とポストまで歩いた。往復五百メートルくらいの距離。スタスタとなかなか良いペースである。八月に退院した日は、数歩歩くのが精一杯だったとのこと、この快復ぶりは嬉しい。

 

 例によって、十時から近くのプールで三十分ほど泳いで戻ると、サクラから電話があった。

「今日、父が、講演で亀岡の方へ行くねんけど、もしよかったら一緒に来いひん?ケベ、まだ聴いたことないやろ。私、何度聴いても笑ってしまうくらい、面白いで。」

即オーケー。十一時四十五分に、衣笠のサクラ(とイズミ)の実家の前に集合とのこと。あと十五分しかない。僕は、カメラをリュックに詰めるや、自転車を飛ばして、十二分三十六秒後には、もう衣笠のH家の前にいた。 

 サクラ運転のワゴン車の助手席に僕が乗り、お父さんのH先生とお母さんを後ろに乗せて出発。行く先は、亀岡の奥の「西別院」という場所、サクラがカーナビに入力している。

 サクラとイズミのお父さんのH先生は自称「わらじ医者」、永年、京都西陣や丹波の山奥の地域医療に関わってこられ、執筆やディスクジョッキー、講演活動なども行っておられる、京都では結構有名人なのだ。「京都では」と書いたが、講演の依頼は、北は北海道、南は沖縄まできており、全国的人気なのかも知れない。そう言えば、一度ハワイでもやったと伺った。ともかく、「何度聴いても笑う」というその講演を一度聴いてみたいと思っていたので、今日は絶好のチャンス。サクラはよく思いついてくれた。

 丹波を走る高速道路に乗り、亀岡で下り、つづれ折の坂を上がると、少し開けた場所があった。西別院だ。小学校らしい建物が見える。そこが会場。道中、主催者のNさんからの講演依頼を読ませてもらったが、西別院には、有志で結成された「わくわくクラブ」という老人を助け、老人と一緒に活動をしましょうという会があり、今日はそのクラブが村内の老人を招待しての会らしい。H先生はもう数回来られたことがあるという。

 H先生に、

「講演の内容、その都度考えはるんですか。」

と尋ねると、

「何パターンかあってね、その日の客層、雰囲気によってどれでいくのか決めるんよ。」

とのこと。

 小学校の入り口に車を停め、サクラとふたりで体育館に入る。テーブルが並べられ、その上には食事が。招待された老人たちと、世話人の方たちが椅子に座ってそれを食べておられる最中。主催者のNさんを捜し、車まで来てもらう。NさんはH先生と顔見知りらしく、和やかに挨拶をされている。その他の世話人の人たちは最敬礼でH先生夫妻の出迎えだ。テーブルの上の食事を、我々もお相伴させてもらう。

 

 一時十五分。H先生の講演が始まる。椅子が「コ」の字型に並べられ、空いている一辺にH先生が立つ。スピーカーからちょっととぼけた盆踊り風のメロディーが。これが、H先生のテーマ曲「ぼけない音頭」らしい。講演と言っても、演者は常に動き回っている。聴衆は圧倒的に女性が多い。これは父の行っているデイケアセンターでも思ったことだ。女性のほうが長命であることが明らかに分かる。

 老人をネタにした冗談が、時にはブラックユーモアも、ポンポン出るのだが、話している本人が既に八十五歳なので、嫌味がない。

「走ったらあかんぞ。こけたら骨が折れる。それを治すのにこっちはもっと骨が折れるんやからな。」

冗談に涙を浮かべて笑っているひとりの六十代の女性がいた。H先生は彼女の前で、

「あんたはボケん。そんな風に屈託なく笑うことの出来る人間はボケへん。『笑う人はボケん』これがわしの理論やねん。三十年後、あんたがボケへんで、わしの理論が証明されたら、わしはその理論でノーベル賞もらうつもりや。」

数十年前に考えた理論で日本人の物理学者がノーベル賞をもらったという時事ネタも逃さない。これはもうひとつの「芸」の領域だと僕は思った。サクラを見ると、何度も聴いているはずの彼女も、やはり可笑しそうに笑っていた。

 

講演に聞き入るお年寄りたち。

 

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