地獄八景亡者戯聞き比べ − しょうずかの婆のその後(二)

 

 さて、しょうずかの婆さんのお噂の続きです。吉朝は全く違った婆さんの生涯を語っています。

 

吉朝説:失業した婆さんではあったが、これまで亡者から剥いだ着物を利用し、ディスカウントショップを始めた。何せ商品の仕入れ値は只、「何ぼでも負けます、能書きはもうしません」と値引きをしたので、大いに流行った。婆さんは、儲かった金を元手に、六道の辻にバーを開く。バー名前はもちろん「ババア」。その店には、役人などの良い客がつき、お婆さんはその一人を旦那にし、資金を出させて料亭「割烹しょうずか」を開く。その旦那、政界に転じて、政党「死に死に党」から国会議員に立候補して当選する。しばらくは上手くやっていたが、今回ミソをがついた。彼の関与した、ハレンチ共済「スーパー亡者定期」が問題になったからだ。旦那の失敗で、「割烹しょうずか」も閉じられ、お婆さんも行方をくらましてしまった。

 

どこかで聞いた話ですね。でも、何のパロディーなのか、もう忘れてしまった方も多いでしょう。これは「オレンジ共済事件」のパロディーでした。詳しくは・・・

一九九二年よりオレンジ共済組合は、『オレンジスーパー定期』という年六〜七パーセントもの配当を謳った商品を出し、約九十億円ものを資金を集めた。しかし、資金の多くが友部の政界工作費や借金返済、あるいは友部の家族に私的に流用された。その結果、一九九六年、同組合は倒産し、顧客にほとんど金は支払われず、大規模な消費者被害をもたらした。一九九七年、現職参議院議員の友部は参議院で逮捕許諾が出されて逮捕された。逮捕後も友部は議員を辞職せず無罪を主張していたが、二〇〇一年に有罪確定。

Wikipediaフリー百科事典による)

吉朝が演じたのは、一九九七年の一月、友部議員の逮捕される前だったのですね。

 

ここで地獄の近代化について述べておきましょう。昭和三十年代、三途の川の上流に化学工場が出来て、三途の川にも公害問題が起きました。しかし、川をきれいにする運動が実り、最近は川もきれいになり、ここ数年は鮭と鮎が戻ってきたそうです。また、三途の川を治水するか利水するかが問題となり、「脱ダム宣言」を掲げた知事が当選しましたが、議会と仲が悪くもめているそうです。

 三途の川の渡し舟も亡者の増加に伴い、近代化されました。手漕ぎの船から、ポンポン船、近代的なフェリー、ついには原子力船まで登場しましたが、コンピューターの故障や、放射能漏れなどの問題を起こし、近年また鬼の船頭の操る手漕ぎの船に戻されました。それが「昔懐かしい」とか「レトロの味」とか評判になり、最近は休みになると小学生がカメラでパチパチ撮りにきています。

 三途の川に橋も架かりました。これにより、交通事故で亡くなった亡者は、車に乗ったまま、「冥土縦貫道」と合わせて、閻魔の庁の前まで、今までより一時間早くつけるようになったそうです。ところが一本でいいものを、三本も橋を架けてしまった。それで赤字続きで、その名も「赤字大橋」。うーん、皆、どこかで聞いたことのある話ばかり。

 

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