地獄八景亡者戯聞き比べ − 針の山

 

 「熱湯の釜」を、山伏の螺尾福海の機転で切り抜けた四人の亡者ですが、今度は「針の山」を登らされることになりました。「針の山」は「熱湯の釜」にも劣らない恐ろしいものです。

「うわー、おっそろしい、針の山ちゅうのはえげつないもんだんな。びしーっと針が植わってまっしゃないかいな。こんなとこへ足乗せたらザクッと入って、抜きもさしもならんで。」

 

この苦境を救うのが、軽業師の和屋竹の野良一です。この軽業師、実はこの落語だけに登場するのではありません。「東の旅」の中に「軽業」という噺があるのですが、その中にも登場するのです。ある村で軽業を演じて、最後には足を滑らせて綱から落ちるのですが、まさかその怪我が元で冥土へ来たのではないでしょうね。

「わしゃ軽業師や。なんやあんなもん。ジャリの自分から修行して、わしの足の裏、板みたいなもんや。この上でわしゃ三番叟(さんばそう)でも踊ったるがな。」

「三番叟」は、歌舞伎の舞踊の一種で、おめでたい興行で舞われるものだそうです。

「あんたはええわいな。わしらはどうなんねん。」

「かまへん。三人ぐらいわしゃ身体の上に乗せて行ったる。」

と言うわけで、軽業師は他の三人を身体の上に乗せて、針の山を登っていきます。

「東西っ、四人の亡者、これより針の山へと登って参る。東西っ、首尾よく頂上まで登りつめましたる上からは、千番に一番のかねあい。千尋の谷へと獅子の蹴落としじゃーい。」

軽業師は針をボンボン蹴りながら、山をおります。すると、針がボキボキと折れてしまいます。

 

 この噺を聞きながら、何度も考えたのが「何故、針の山はあっけなく折れてしまったのか」という点です。米朝の噺の中で、鬼が閻魔に次のように言い訳をしています。

「あの針は下から登ってくるやつには強いけど、逆から蹴られたらボキボキ皆折れてしまいますねん。」

私は、この状況を何とか頭に思い浮かべようと試みました。でも、どうしても出来ません。針は上向けに植えられているとすると、何故、下からの力に強く、上からの力に弱いのか、イメージが湧かないのです。枝雀の説明は少し変わっています。

「あれは(針の山は)、前からは強うございますが、後ろからやとボキボキと折れまんねがな。・・・針の山が『禿の山』になってしまいまして。」

この説明だと、もう少し分かったような気になりますが、まだピンときません。枝雀閻魔が文句を言います。

「『禿』という言葉は禁句である。」

これは、もちろん、枝雀自身、自らのヘアースタイルを題材にした、自虐ネタです。

 

ともかく、怒り心頭に発した地獄の監督、閻魔は、「切り札」、「抑えのエース」、岩瀬、藤川、小林雅ならぬ「人呑鬼(じんどんき)」の投入を決意します。

 

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