民族舞踊

 

 

その日はまたホテルの近くの「ひなびた食堂」で夕食。今回も魚尽くし。ムール貝、またまた小型アワビのリンペッド、そして黒太刀魚の卵の炒め物を注文した。黒太刀魚はマデイラの特産で、魚市場には一メートル以上あるものが、ずらりと並んでいる。可愛げのない、ちょっと凶暴な顔で見つめられるのは、余り気持ちの良いものではない。しかし、グロテスクな外見と裏腹に、あっさりとした白身で、なかなか美味しい魚である。

魚の卵などは英国ではなかなかお目にかかれないので、妻と私にとっては嬉しい限り。ポヨ子も文句を言わずに魚と貝を食べている。日本で生まれ育ち、欧州で新鮮な魚に餓えている妻と私はともかく、こちらで育った娘には、そろそろ魚料理に飽きがくる頃だと思うのだが。(事実、英国に帰ったスミレは、しばらく魚は食べないと宣言した。)

食事を終えて、暖かい夕方の空気の中をホテルに戻る。これまで、夜は部屋で過ごしていたのだが、初めてホテルのラウンジに入ってみる。ラウンジは食後のひと時を楽しむ人たちで賑わっていた。

私たち家族は、ホテルの食堂やラウンジで、アジア系の顔ということで、どうしても目立ってしまう。特に娘のポヨ子は、六十歳以上が、八十五パーセントは占めていようかという客層の中で、珍しい「若手」。二重の意味で目立ってしまう。私たちがソファに腰をかけると、暇なお年寄りたちが入れ替わり立ち替わり話しかけてくる。私は社交的なおしゃべりが苦手なので、もっぱら妻に爺ちゃん婆ちゃんのお相手を任せる。

ラウンジで、四十歳くらいの女性がふたり並んで腰をかけていた。夫婦、男と女のカップルの多い中、女性ふたりと言うのは少し違和感がある。ひとりは髪の毛が短く、ピッタリした黒いセーターとズボン、もうひとりは髪の毛が長く、ゆったりした色彩のある服を着ていた。

「あの人たち、レスビアンじゃない。」

と私がスミレの耳元で囁く。

「実は私もそう思っていたの。」

娘は言った。実は、数日後、私はその「女性のカップル」と話す機会があった。オーストリア人だったので、ドイツ語で話した。娘と私の予想は見事に外れ。彼女たちはレスビアンでも何でもなく、単に「ダンナを家に置いて気楽な休暇に来た」姉妹であった。変な邪推をしてごめんなさい。

ホテルの玄関の方から、賑やかな音が聞こえてきた。見ると、マデイラの民族舞踊を披露する一団が入って来た。ホテルの泊り客向けのアトラクションのひとつなのであろう。十五人くらいで男女半分ずつ。女性は長いスカートを履き、頭にオタマジャクシを尻尾からぶら下げたような帽子をかぶっている。この帽子、何かに似ていると考え込む。そうだ、アンパンマンの中に出てくる「どきんちゃん」のヘアースタイルと同じである。

音楽はアコーディオンと笛。それと布を張ってない折り畳み傘に小さなシンバルをぶらさげたような楽器。傘をさそうかな、すぼめようかなという動作をすると、シャンシャンと音がする。音楽は、明るい調子で、何となくアイルランドのダンス音楽に似ている。

数曲が終わった後で、一団の中のお姉さんが、スミレの方にやってきた。やっぱりポヨ子さんは目立っているのである。娘はフロアの中央に引っ張って行かれ、一緒に踊ることになった。もともとダンス、バレーは大得意なポヨ子さん、見よう見まねで器用に踊りをこなしている。そのうち、フロアに引っ張って行かれる人数が増え、最後は、観客参加ダンス大会になった。

 翌朝、朝食後、妻が買い出しに行ってくると言って出て行った。一時間ほどして帰ってくると、手に大きめの紙袋を持っている。

「良い物見つけた。何だと思う。」

そう言いながら、妻は、紙袋の中身を出した。そこには昨夜の楽団が使っていた、布なし折り畳み傘風、シャンシャン楽器が入っていた。みやげ物やで五ユーロで買ったという。もちろんミニチュアで、本来のものの三分の一くらいの大きさであるが。妻はそれを、英国に置いてきた真ん中の娘の土産にするのだと言った。

 

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