昼休みの過ごし方

二段燃焼装置を備えたエンジン。意外と小さい。

 

ちょうどお昼時間。どこかで昼飯を食ってからロンドンへ向かおうと思う。そのとき道路脇の「エイヴィエーション・ヴュー・パーク」という標識が眼に入った。迷わずにそちらへ車を走らせる。出張中であるが、一時間の昼休みは認められているはず。その間にコンコルドの見学と昼食を済ませてしまおうと言うわけだ。パークの標識と同時に「コンコルド」書いた黄色い標識も現れる。それを追って行くと間もなく、空港の敷地の一画に作られた「エイヴィエーション・ヴュー・パーク」に着いた。

 入場料は五ポンド。駐車場の外れに、英国製の三発のジェット機、トライデントが一台展示してある。滑走路側には三メートルほど盛り土をした展望台があり、二、三十人の人々が離着陸する飛行機を見ている。

コンコルドは建物に入っていた。と言うより、コンコルドを覆うように、後から建物が造られたというべきか。鋭く削った鉛筆にも似た機体が目の前にある。更に五ポンド払って、十五分の機内ツアーに申し込む。ツアーの開始は十五後。待っている間、BAOBがチャリティーでやっている屋台で、ケーキと紅茶を食べる。コンコルドは空港でジャンボ機や他の飛行機と並ぶと随分小さく見えたのだが、至近距離で見ると、思っていたより大きかった。

十人ほどのグループで機内に入る。機内が狭いのには驚いた。四座席が横に並んでいるが、それもやっと四席並べたという感じ。先ずその座席に就いて、引退したBAの職員と思しき男性の説明を聞く。

座席は特別製で、重量を抑えるため、金属部分はチタニウムで出来ている。座席が狭いので、巨漢のルチアーノ・パバロッティは二席予約したそうだ。座席の幅は狭いが前後の間隔は、普通のエコノミーの座席に比べて少しは余裕がある。乗客の定員はきっかり百人。トイレを覗いてみるが、パヴァロッティが座ったら扉が閉まるかなと心配するほど狭かった。

コンコルドは一九六九年に初飛行している。もう四十年も前。そして量産された世界で唯一の超音速ジェット旅客機だ。一九七六年に定期便として就航。マッハ二(音速の二倍)で飛んだ。ロンドン・ニューヨーク間の所要時間は三時間半。日帰りが出来る。今でも、ロンドン・ニューヨーク間は七時間程度かかる。画期的な飛行機だった。

しかし、燃費の悪さ、余りにも少ない乗客数、衝撃波のため洋上しか飛行できないという制限等のため、わずか十六機が作られただけで、一九七六年に早くも生産打ち切りになった。成層圏を飛ぶために、成層圏の大気汚染が憂慮されたという話も聞いたことがある。

しかし、何のかんのと言っても、需要があれば更に作られていただろう。要は需要がなかったのだ。コンコルドが古くなり、引退が予想された九十年代にも、それに代わる超音速旅客機は結局作られなかった。つまり、乗客はコンコルドよりもジャンボ機、速さよりも運賃の安さを選んだのだ。大多数の乗客は飛行時間を半分にするために数倍の金を払うより、飛行時間はそのままでも良いから半分の金で飛ぶことを選んだのだった。パヴァロッティは知らないが、自分ならそうする。

 

コックピット。無数の計器が並んでいる。

 

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