コンコルドの思い出

パリで離陸後火を噴いて墜落するコンコルド。

 

僕が始めてコンコルドの実物を見たのは、一九八九年、まだドイツに住んでいたとき、当時英国に住んでいた友人のサクラ夫婦を訪ねてロンドンに来たときのことだった。ハンプトン・コートの庭を観光していたら、突然もの凄い音が響き渡った。まだ二歳だったワタルとゼロ歳だったミドリが怖がって泣き出す。空を見上げると、ヒースロー空港から離陸したばかりのコンコルドの三角形の翼が黒い影になって見えた。

その後、ドイツから英国に移り住む。次に勤めた会社がヒースロー空港に近かったせいで、離着陸するコンコルドを何度か見た。見るというか、コンコルドが近くを飛ぶと、雷のような音がして、窓ガラスがビリビリ震えるので、すぐ分かるのだ。空港の傍をミドリと通った際、ちょうどコンコルドが道路脇に停まっていたので、記念撮影をした記憶がある。コンコルドの尖った機体と、ミドリの丸いほっぺが対照的だった。

二〇〇〇年七月二十五日、僕は出張でドイツのミュンヘンにおり、午後、空港で帰国の飛行機を待っていた。少しして、パリのシャルル・ドゴール空港からの便が全てキャンセルになった。

「何かあったな。」

と直感し、待合室のテレビに眼をやる。パリで火を噴いて落ちて行くコンコルドがテレビに映し出されていた。どうも僕は、飛行機に乗る直前に、飛行機の墜落のニュースを見たり聞いたりするようだ。今年の一月、アムステルダムからロンドンへ帰るその朝にも、ニューヨークのハドソン川に不時着した飛行機のニュースを見ていた。

コンコルドの最後の飛行は、二〇〇三年十一月二十七日。先にも述べたが、当時働いていた会社のオフィスは、ちょうどヒースロー空港の北滑走路の着陸コースの下にあった。駐車場からは、順に列をなして着陸していく飛行機が見えた。

その日、北滑走路を使用し、東側、つまりロンドン側から進入してくれると、着陸するコンコルドが見えるはずだった。正直言って、僕は是非最後の飛行を見たかったが、

「飛行機を見たいんで、ちょっと仕事を抜けます。」

と上司に言うのも何か憚られた。また、そこまでオタクではないという、変な意地もある。

空港で、飛行機をどちらから降ろし、どちらから飛ばすかは風向きで決まる。向かい風になるように離陸、着陸のコースが決められるのだ。コンコルドの最後の着陸は午後三時半。昼休みに外へ出て上空を見上げると、飛行機は僕の事務所の上を通り、東から着陸するコースをとっていた。よしよし。後は、二本ある滑走路のうち北側のやつ使ってくれるよう祈るだけだ。

その日の三時半、僕は外に出た。直前にBBCのウェッブサイトで、正確な着陸時間を確認していた。果たして、コンコルドは北滑走路を使い着陸してくれた。夕方の金色の雲の中を降りて行く三角形の機体からは、何か神々しいものが感じられた。工業製品からそれほどの感動を受けたことは、後にも先にも初めの経験だった。

ヴュー・パークは見晴らしのよい場所にある。

 

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