マルクスとダーウィン

 

 史的唯物論を説いたマルクス (Karl Marx1818-1883) は、哲学のみならず、政治、歴史、経済にまで思いを巡らせた。彼の思想は、友人のエンゲルスの協力で、広められることになる。

 基本的に、マルクスは、ヘーゲルの述べる、歴史はふたつの力の対立であり、その対立の中から新しい力が生まれるという考え方を引き継いでいる。彼の考えの新しい点は、経済活動を、歴史を動かす原動力であると考えたことである。そもそも、哲学に経済活動を持ち込むことは、古い時代では必要もなかった。ギリシアにおいて、生産は奴隷によって行われていて、哲学を思索する市民階級とは全く別のところにあったからである。

 マルクスは社会の構造を上下二段の建造物に喩えた。「土台」に当たるものが生産活動、経済活動であり、「上部建造物」に当たるものが政治、宗教、道徳である。つまり、いかなる政治、宗教、道徳も、経済活動の基盤なしでは、成り立ち得ないというのである。そして、その上下の間には、対話があり、お互いに連携しあっている。そして、土台の変更により、上層建造物も変わっていく。これは、「弁証法的唯物論」と名付けられている。

 マルクスは社会を三つの層に分けた。「生産の条件」、「労働力」、「生産の関係」である。「生産の条件」というのは、土地、原材料などを指す。「労働力」というのは、言うまでもなく人間の力である。そして「生産の関係」はそれらを組み合わせて、実際の生産を行う手段である。

 マルクスは、どの時代にも共通する「善」と「悪」は存在しないと言う。「善悪」はその時代の支配階級が決定したのである。そして、歴史は上記の「生産の関係」、つまり「生産の手段」を所有しようとした階級の間の争いであると、彼は定義した。

 マルクスによると、どの時代にも優勢な二つの階級がある。例えばマルクスの時代であれば、生産の手段を所有する「資本家階級」(ブルジョアジー)と、それを持たない「労働者階級」(プロレタリアート)である。支配階級は、自分で権力を投げ出すことはないので、そこに「革命」が必要であると、マルクスは述べた。

 マルクスによると、「労働」は美徳であり、「人間」と「労働」は切り離すことができない。「人間は働くことにより自然を把握でき、同時に自然が人間を把握しようとする」と彼は述べた。しかし、資本主義社会では、労働者は資本家、つまり他人のために働いている。これは本来の姿ではないとマルクスは考えた。そして、労働者は「労働力」だけではなく、「人格」をも資本家に「搾取」されていると彼は述べる。事実、そういう考えが出るのも当然であるほど、一八五〇年前後の労働条件は劣悪であった。

 マルクスは一八四八年にエンゲルスの協力を得て「共産党宣言」を発表し、そこで労働者の団結と蜂起を呼びかけた。暴力的な革命によってのみ、プロレタリアートは力を獲得することができると。

彼は、資本主義は、共産主義へと移行するひとつの段階であると考えた。そして資本主義は自己破壊的な矛盾を持っていると述べた。

例えば、物を生産し販売すると、そこに原価との差額、つまり「利益」あるいは「付加価値」が生まれる。その「付加価値」は労働者によって生み出されたものである。しかし、資本家はそれを労働者に還元せず、新しい機械などの合理化に投資する。それにより失業者が増え、社会不安が増加する。

 また、資本家同士の間で競争が生じる。それに勝つために、資本家は労働者の賃金を下げようとする。そうすると、労働者の購買力が低下し、需要が落ちてしまう。

 これらの矛盾が次第に鬱積し、最後はプロレタリアートが自ら生産手段を手に入れようとする革命が起こると、マルクスは予測した。そして、社会は「プロレタリアートの独裁」の時期を経て、共産主義に移行すると。そして、共産主義社会では生産手段は「皆」のものになるという。

 しかし、実際にはマルクスの言うようにはならなかった。ロシア、東欧などに出来た「共産主義」国家は、二十世紀の後半次々と崩れていった。現代の人々はマルクスの誤算について指摘している。そのひとつが、ヨーロッパでの「社会民主主義」の発生である。それは暴力的な革命ではなく。長い時間をかけた穏やかな革命と言ってもよい。

 マルクスの説いた共産主義は「レーニン主義」と「社会民主主義」の二つの流れに受け継がれた。しかし、「レーニン主義」の国々でも、実際生産手段が「皆」のものになったかは大いに疑問である。マルクスの理論を持ってしても、人間の犯す誤りまでは予測できなかったということになる。

 

 マルクスの共産党宣言と同じくらい、その時代の人々にショックを与えたのが、ダーウィン(Charles Darwin 1809-1882) の「自然選択説」、「進化論」であろう。フロイトは進化論を

「それまで自己愛に浸っていた人間に大きなショックを与えた。」

と、評価している。十九世紀は「自然主義」の時代であった。その中で、人間も自然の一部であるという考えが浸透し始めた。また、自然、環境、歴史、進化、発展などが、キーワードとなった。しかし、そのような中でさえ、ダーウィンの説は、ショッキングなものであった。

 ダーウィンは、現在の人間は、長い進化の結果であると考えた。それは、神が人間と自然を創ったという、キリスト教会の説から人間を解放した。ダーウィンは生物学者であるが、その意味では、哲学者としても大きな働きをしたと考えてよい。

 彼は神学を勉強する傍ら、生物学、地質学のような自然科学にも興味を持つようになる。そして、二十三歳のとき、英国海軍の測量船、ビーグル号に乗り込み、五年間南アメリカ各地を回った。彼はガラパゴス諸島を始め、南米各地を訪れ、そこで、地質や生物を観察した。

 ダーウィンは一八五九年、「種の起源」を発表する。彼は、現在地球上にある生物の種は、原始的な種から進化したものであり、自然による選択、つまり生存競争に勝ち残ったものであると述べた。ダーウィンはその証拠に、化石を挙げている。

それまで、進化論を唱えた者はいるにはいた。しかし、ダーウィンほど明確に、その原因について言及した者はいなかった。彼の説は、キリスト教会から猛反対を受け、彼は「英国で一番危険な人物」と評されることになる。

キリスト教会は、動植物は神が最初から、そのままの形で作ったものとし、山で海の生物の化石が発見されるのは、神が「神を信じないものを混乱させるために」ばら撒いたものなどと説明していた。

ダーウィンの「小さな変化が、長い時間の間に大きな変化になりうる」ことの発見は、重大なものである。変化は、「力」ではなく「継続」ゆえに起きるのである。彼の説には、これまで抜け落ちていた「時間」という要素が盛りもまれていた。それまでは、世界創造から当時まで、六千年くらいであろうと考えられていた。ダーウィンはそれを三億年に訂正した。そして、現在では数十億年であろうと考えられている。

彼は、自分の進化論の証明を、化石だけではなく、現在生きている生物にも求めた。ガラパゴズ諸島に住む小鳥、ヒワは、島によってそのクチバシの形が微妙に違う。そして、それはその島にある食物を捕るのに適合しているということを、ダーウィンは発見する。神が、少しだけ違う種を、島々に作っていったとは考えられない。鳥が、その島の環境に合わせて進化したものと彼は結論付けた。

彼はまた、胎児の形が、人間も他の哺乳類も似ていることを指摘する。これは、それらが元々一緒であったことを示すのではないかと彼は考えた。

それまでも、進化論を唱える学者はいた。ラマルクは「キリンは何世代にも渡り、高い木の上の葉を食べている間に、首が長くなった」と述べた。これに対して、ダーウィンは、キリンの首の長いのは、自然が選択したもの、生存競争の結果であると考えた。生物の個体は、皆少しずつ異なる。そのうち、そのときの環境によりよく適応した個体、キリンで言うと、他の者より僅かに首の長いものが、餌をよく食べられ、子孫を残す。それが何世代にも渡り、長い間繰り返された結果、首の長いキリンばかりになったというのである。

植物においても、鮮やかな色をした、良い匂いを放つ植物は、昆虫を惹き付け、受精の機会が多い。人間においても、赤道付近に住んでいる人種は、極に近い人種より、肌の色が濃い。こうしたことは、皆、長い間環境によりよく適合した者が、選択された結果であるとダーウィンは考えた。

ダーウィンの考えを要約すると、「個体に起こる絶え間ない変化(バリエーション)が、自然による選択を受け、そのうち強いものが生き残る」と言うことになろうか。

一八七一年、ダーウィンは「人の由来」を発表、そこで人間は他の動物から分かれて進化したと述べる。おりしも、当時は、ネアンデルタール人等、旧人類の化石が発見され始めていた。彼は、人間と猿は、かつては同じ種であったことを証明する。

進化論を発表した頃は、世間から非難の嵐に遭ったダーウィンであるが、死ぬときには、彼の説は受け入れられ、英国自然科学界の重鎮として、盛大な葬儀が催された。

ダーウィンの「自然選択説」にも、弱点があった。どうして「変化」、「バリエーション」が起こるのかを十分に説明し切れていなかったことである。それは後年、「ネオ・ダーウィニズム」(新ダーウィン主義)で説明されることになる。生物の遺伝情報はDNAに保管されており、細胞が分裂する際、本来全く同じものが作られることになる。しかし、ごく稀に、少し違ったものが出来ることがある。これを「突然変異」「ミューテーション」という。その変移、「ミューテーション」が、またごく稀に、その種にとって良い方向に作用することがある。つまり、たまたまその時要求されていた条件に当てはまることがある。その結果、その突然変移種が生存競争に勝ち抜き、子孫を残す。

キリンにおいて言えば、DNAの悪戯、突然変異で、本来より少しクビの長い個体が生まれた。その個体は、食物を沢山獲れるので、勝ち残り子孫を残す。その子孫の中に、かた本来より少しクビの長い個体が突然変異で現れ、勝ち残る。それが、延々と繰り返された結果、キリンの首はあれほど長くなったのであるという。

この説は、農薬を散布しているうちに、それに抵抗力を持つ突然変異種が生まれ、それが多数を占めるに至って、農薬が効かなくなる、そのような現象にも見ることができる。

ダーウィンは、動植物は、より原始的な種から進化したものであると考えたが、それをどんどん遡っていくと、最初の生物はどうして出来たのかという問題に突き当たる。生物は自分と同じものを再製する。それには遺伝情報、DNAが必要。そのような複雑な分子が、最初どのように作られたのかという問題である。それに対しては、地球が誕生してから数億年後、まだ酸素つまりオゾン層がない時代、地球の表面の水の中に、宇宙からの光線の助けを借りて、最初の複雑な分子が構成されたのではないかと想像されている。そこに神を持ち出す人々もいる。

 

<次へ> <戻る>