「ゼルプの正義」(Selbs Justiz)

 

 

 

何と言っても、この小説のとてつもなくユニークな点は、

@ 主人公の探偵が元、ナチス政権の国家検事である。

A 主人公の探偵が最後につきとめた犯人を殺してしまう。おまけに、それは誰からも発見されず、彼は罪にも問われない。

以上の二点に尽きる。@はおよそ、ドイツ人の小説の善玉としての主人公としては異例であるし、Aはアガサ・クリスティーが「アクロイド殺人事件」で、犯人は実際には書き手だったと言う意表をついたトリックを使ったり、「オリエント急行殺人事件」で皆が犯人だったというそれまでの常識を覆す結末をもうけたが、それに類するもので、およそ推理小説の約束事の上を行くものであると思う。

 

この本の主人公、ゲルハルト・ゼルプは六十歳を過ぎたマンハイムに住む私立探偵である。彼はある日、幼馴染みであり、義理の兄弟でもある、マンハイムにある大きな化学会社の社長、コルテンより相談を受ける。コルテンの依頼は、自分の会社のコンピューターシステムに「ハッカー」が侵入して、コンピューターのデータを勝手に書き換えている。その犯人を突き止めてほしいと言うことである。ちなみにこの化学会社、RCWのモデルはBASFである。実際にマンハイム、その対岸のルードヴィックスハーフェンでは、ライン河に沿って、何キロにも渡り、この会社の工場が続いている。

ゼルプは捜査の結果、会社のコンピューターが広域公害集中監視システムと接続していることに目をつけ、その地方自治体のコンピューターセンターに勤めるプログラマー、ミシュキーを疑う。事実ハッカーは彼であったのだが、話しはそれで終わらない。

ミシュキーが、自動車事故を装った手口で殺される。ゼルプは殺された男の身辺を洗ううちに、戦争中のユダヤ人捕虜強制労働と、ユダヤ人に協力したサボタージュを企てに関して、会社内の誰かが公に出来ない秘密を持っており、ミシュキーはそれをネタに、ある人物を脅迫していたことを知る。ゼルプは、内部の人間が、戦争中の自分の秘密を公にしないため、そして現在の地位を守るため、内情を知ったミシュキーを殺害したと確信を持った。

ところが、そのユダヤ人強制労働と、サボタージュ事件を担当した検事は、他ならぬゼルプ自身なのであった。彼自身も、秘密を知らされず、誰かに操られ、踊らされていたのだ。こうして、事件は、彼自身も関わった過去の出来事へと遡っていき、ゼルプ自身も第三者から、その渦中の人間となるのである。

 

私立探偵、ゼルプは、ナチス時代、国家検事としてナチス政権の協力者であった過去を持っていることは前述した。彼は、そのことを普段は公言しないのであるが、彼が密かに思いを寄せている化学会社の美人秘書に問い詰められて、仕方なく自分の過去を話す場面がある。その中に、ゼルプの、ひいては作者シュリンクの、ナチス政権への協力者に対する正直な見解が表れていて面白い。

「ゼルプさんは昔検察官をやっておられたそうですね。それをどうしてお辞めになったんですか。」

と秘書が尋ねる。

「戦争の後、誰も私を必要としなくなったんです。私は筋金入りの国家社会主義者で、積極的なナチス党員で、厳格な国家検事でした。被告に死刑を求刑し、それが通ったこともありました。それは、なかなか見ごたえのある審理でした。私は国家社会主義とそれにまつわることを信奉していましたし、自分の立場を裁判という前線に立つ兵士であると理解していました。戦争の本当の前線には怪我の為に始めから立つことはできませんでしたからね。・・・」

「一九四五年の後は、先ず、義理の両親の農場に身を寄せ、石炭の商いなんかをした後、私立探偵としての道を歩みだしたと言うわけです。検察官にもう一度復職することは、もう私の視野にありませんでした。私は自分のことを国家社会主義体制の中でだけの国家検事だと見ていましたし、実際にそうであり、決してそれ以上のものではなかったんです。・・・」

 そして、彼は、今の若い人から見ると馬鹿馬鹿しいことだと思われるが、当時、自分が真剣にナチス政権を信奉していたことを繰り返し、戦後自分なりに精算はしたが、当時の自分の行いを今でも後悔していないと明かす。

そのような人物を、善玉として、主人公に据えてしまうというのは、ドイツの小説としては、異例とあると言える。しかし、ゼルプの過去に対する見解は、一般人のそれに一番近いもののような気がする。

 

この小説の登場人物、ゼルプも含めて、それぞれ個性とユーモアに富み、読んでいて思わず笑ってしまう箇所が多い。

ゼルプは、スウィート・アフトンと言う両切りの煙草を燻らし、サンブッカというイタリアの酒を傾け、オペル・カデットを乗り回し、自分では「粋」な人物を気取っている。彼の悩みと弱点は、六十歳を過ぎて、老いが自分に否応なしに迫ってきていることを、認めたくないが、認めざるを得ないことである。

彼の友人には、それぞれ個性的な人材が揃っている。一番の親友は、看護婦の尻を追い回すことを生甲斐にしている医師、フィリップである。彼等、個性的な友人が、陰になり、日向になり、ゼルプに協力して、難問が解決されていく。

豊かで、凝った登場人物の設定は、シュリンクの、この小説が単なる謎解きではなく、人間味のある筋書きになるようにという、工夫と努力の跡が窺える。しかし、その軽い人情味のあふれる部分と、重くて深い上記のナチス時代の部分の差が余りにも大きく、読んでいて戸惑うこともあった。

 

最後に結末である。事故を装い人が殺され、その死が徹底的に追われ、洗い出され、完全犯罪成立の直前でやっと犯人が見つかる。その犯人を、主人公があっさり殺してしまい、それに対しては、完全犯罪が成立し、主人公が罪に問われることがない。この大きな片手落ちを、あっさりと書き上げ発表してしまったシュリンク。ここまで行くと快挙であり、只者ではないと賞賛に値すると言えるのではないか。

 

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