氷の上で

ベルンハルト・シュリンクの作品における過去と現在

schlinkportrait
 

ベルンハルト・シュリンクは一九四四年ビーレフェルト生まれ、ドイツにおける九十年代を代表する作家のひとりである。彼の専門は法律で、二〇〇一年現在、ベルリン・フンボルト大学で人権法と法哲学教授の職に就いている。東西統一の際にも、政府に招聘され、円卓会議に加わっているので、その道でも第一人者であると考えられる。作家としての最初の作品「ゼルプの正義」(ヴァルター・ポップとの共著)が一九八七年に発刊されて以来、計六冊の本が刊行されている。彼を有名にしたのが一九九五年に発行された「朗読者」である。「朗読者」はドイツのみならず海外でもベストセラーとなる。米国において「朗読者」がドイツ人作家の著作としては初めてニューヨークタイムズのベストセラー一位になった。「朗読者」は内外で数々の賞を受け、日本語を含む三十二カ国語に翻訳されている。

彼の経歴の中で、「一九四四年生まれ」つまり、第二次世界大戦が終わる前年に生まれたこと、「法律家」ということ、この二点が彼の作品を語る上で重要な役割を果たすことになるので、ぜひ心に留めておいていただきたい。

 

 次に個人的な話になるが、私とシュリンクの作品との出会いについて、少し紹介したい。私は二〇〇〇年から二〇〇一年まで、ドイツのメンヒェングラードバッハ市に住み、そこで働いていた。いつも買い物をする同市内の大きなスーパーマーケットの狭い本売り場に、ベストセラーと銘打って「朗読者」が平積みで置いてあった。当時、娘から借りた「ハリー・ポッター」英語版四巻をやっとのことで読み終え、次に読む本を捜していた私は、食料品と酒と一緒に、積んである「朗読者」の一冊を深い意味もなく籠に入れ、帰宅後何となくという感じで読み始めた。「朗読者」は面白かった。ここ数年に読んだ本の中で、一二を争うほどの面白さだった。

 ある作家の刊行されている本を全部読むということを、昔から私はよくやる。早くは高校生の時、新潮文庫から出ている三島由紀夫の文庫本を暇に任せて全部読んだこともあった。最も、後期の作品の「豊饒の海」などは、国粋主義てきな面が強すぎて、全然面白くないと思いながら、それどころか腹を立てながら、意地になって無理やり読んだのを思い出す。

ともかく「朗読者」に感動した私は、シュリンクの他の作品も読んでみることにした。ある土曜日の午前中、私は、メンヒェングラードバッハの中心街、「ヒンデンブルク通り」にある大きな本屋を訪れた。そこで「『朗読者』以外で、ベルンハルト・シュリンクの本を刊行されているだけ全部」買ってきた。仕事の合間に数ヶ月かけて五冊を読み終えたわけであるが、どれも楽しく読めた。特に私立探偵「ゼルプ」シリ−ズの二冊は私のお気に入りである。

しかし、何といっても、彼の作品の中での「ナチス時代」の取り扱いに、これまでのドイツのメディアでの「約束事」「タブー」を覆す、斬新さを感じた。読み進むうちに、私心の中に作者、シュリンク像が出来上がってきた。

作品を通じてではなく、直接シュリンクの考え方に触れてみたいと思っていたところ、「シュピーゲル」誌が二〇〇一年第一九号で「現在における過去」という特集をやり、そこにシュリンクが「氷の上で」と題した論文を投稿しているのを見つけた。それを読み、内容を自分の創り上げたシュリンク像と比較し「やっぱり」と思うことが多かった。

 

今回、日本人の読者を対象に、シュリンクの作品、人、背景についての文章を書くことにしたが、「氷の上で」というタイトルは、この論文から取らせていただいた。彼の言う、「私たちは氷の上で生きている」の意味を、最後に読者の皆様にご理解していただければ幸いである。また、私のこの文章がきっかけになり、一人でも多くの方がシュリンクの作品に触れる機会をもっていただければよいと願っている。(なお、日本語の題名については、松永美穂さんの翻訳が出ているものに関してはそれに従った。)

 

 

作品紹介と書評

 

ゼルプの正義(1987年)(Selbs Justiz)

 

ゴルディオスの結び目(1989年)(Die gordische Schleife)

 

ゼルプの裏切り(1992年)(Selbs Betrug)

 

朗読者(1995年)(Der Vorleser)

 

シュリンクとのインタヴュー(1999年)(Die Welt紙掲載)

 

逃げていく愛(1999年)(Liebesfluchten)

 

氷の上で(2001年)(Auf dem Eis)

 

ゼルプの殺人(2001年)(Selbs Mord)

 

シュリンクとのインタヴュー (2001年)(vom Frankfurter Rundschau)

 

帰郷2006(Die Heimkehr)

 

週末2008(Das Wochenende)

 

階段2014(Die Frau auf der Treppe)

 

川合 元博

1957年京都市生まれ。金沢大学、大学院でドイツ文学を専攻。1984年某ファスナーメーカーに入社。同年より海外駐在員としてドイツ赴任。1991年ロンドンへ転勤。1996年現地で転職。現在、システムエンジニア。ビールとマラソンを好む。妻、真由美との間に子供3人。20006月より1年間ドイツに単身赴任。

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