ヘンダーソン飛行場

 

solomon111

ガダルカナル島の土を踏む。

 

 三時間余の飛行の後、飛行機はガダルカナル島の上空を通過する。島の南から進入し、北側にあるホニアラ国際空港に着陸するためだ。険しい山の上には雲がかかっている。北側の海岸に出ると、眼下に空港が見えた。この空港、僕はどうしても「ヘンダーソン飛行場」と呼んでしまう。そして、ほとんどの人が、そう呼んでいるのではないかと思う。

元々、この空港は、日本軍の設営隊が、一九四二年七月に前進基地として建設を始めたものだ。満足な工機すらない中、ジャングルを切り開く、厳しい作業だったろう。しかし、完成直前の一九四七年八月七日、アメリカの海兵隊が島に上陸。飛行場は米軍により占領されてしまう。それから、日本軍がこの島を放棄することを決定するまでの半年間、この飛行場を巡って、両軍の間で、激しく悲惨な戦いが繰り広げられるのである。ちなみに「ヘンダーソン」とは将軍の名前ではなく、日本の航空母艦に体当たりした一海兵隊員の名前だそうだ。

飛行機は海上で旋回して、空港に到着した。乗客の殆どは白人なのだが「ホニアラ・インターナショナル・エアポート」と書かれた建物の屋上には、数十人の現地人が金網に張り付いて、到着した飛行機を見ていた。皆、アフリカの黒人と同じくらい黒い顔をしている。しかし、顔つきは黒人とは異なる。

手押しのタラップが飛行機に横付けされる。タラップを降りるとG君がいた。南緯八度の太陽が頭のてっぺんから照りつける。太陽光線の密度が日本やヨーロッパ、ブリスベーンとも違う。

JICAの職員であるG君は、空港内に自由に出入りができるようだ。彼とW夫人と一緒にターミナルビルに入る。日本の田舎の中学の体育館という風情。G君はW夫人も「担当」しているらしく、彼女の横にいて、入国審査官や税関職員と交渉をしている。W夫人の毛皮の襟巻きが、税関で引っかかり、G君が係官と交渉をしている。日本は冬なのだと改めて思う。僕の冬物の衣料は、全てK子さんの家に置いてきていた。

十分後、無事皆外へ出ることができ、W夫人はご主人と再会。僕はG君の運転する四駆に乗って、ホニアラの「街」へ向かった。空港の敷地に、いきなり対空高射砲が空を見据えている。もちろん、第二次世界大戦の時の物だ。道路沿いには、木で作られた粗末な屋台が並んでいるが、何を売っているのかは分からない。

途中、海辺を通ると、道端に獲れたての鯛を売っていたので、それを夕食用に購入。その横の市場も、少し覗いてみる。スイカ、バナナ、サツマイモ、ネギ、その他、結構、果物、野菜類の種類は豊富だ。着いたばかりで、黒い顔の人々に囲まれるのは、まだ少し怖い気がする。ココナッツを買って、ジュースを飲んでみるが、冷えてないので美味くない。

ホニアラの町中に入る。ほとんどの建物がちょっと雑な造りで、日曜日のせいか人通りは少なく、ゴーストタウン的な印象を受ける。「首都」とは言え、店の建ち並ぶ「メインストリート」はほんの一キロメートルに過ぎない。そこは、思っていた以上に田舎だった。

 

 

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道端で、獲れたばかりの魚を売る人たち。

 

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