Das Parfum, Die Geschchte eines Mörders

「香水・ある殺人者の物語」

 

Patrick Süskind パトリック・ズースキント

1985

 

 

 

<はじめに>

 

「天下の奇書」と呼ばれる作品が世の中にはある。それまで書かれたどの作品とも比べようがない、それまでの常識から絶した、孤高の作品である。この作品は、私の目から見る限り、「奇書」の範疇に入れてもいいと思う。

これまで呼んだ小説の中で、「こいつはこれまで書かれたどの作品とも比べるもののない『奇書』である」と感じたことが三回だけである。もちろん、私の少ない読書遍歴の中の三回である。世の中にはもっとたくさんの、エポックメーキングな作品はあるであろう。ちなみにその三作は夢野久作の「ドグラマグラ」、沼省三の「家畜ヤプー」、筒井康隆の「旅のラゴス」であった。

 では、どこがこの作品が「奇書」である所以かと、皆様は私に問うであろう。

第一に、この物語が、五感のうちの「嗅覚」を主題にしている点である。視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚のうち、嗅覚以外の四感をテーマにした作品は数多い。美しい風景、心に残る音楽、美味しい料理、艶かしい女性の肌の感触、それらについては語り尽されていると言っても過言ではないと思う。(もちろん、新しい作家の新しいアプローチによって、次々と斬新な表現はされているだろうが。)しかし、五感のうち「嗅覚」を主題として前面に捉えた小説は、少なくとも私には始めてであった。嗅覚に関しては、人間は犬や豚にさえ負けるので、その劣等感からか、いまひとつ踏み込めない領域であったようである。

 また、もうひとつの斬新さは、十八世紀の革命前のフランス、つまりギチギチのキリスト教世界を舞台としながら、キリスト教の「神」に対する大胆な挑戦が行われている点である。主人公のグルヌーユにとって、キリスト教の倫理や道徳なんて「糞喰らえ」。彼は自分が、キリスト教会に宿る「抹香臭い神」を越えて行けると信じて行動している。つまり、自分が「神」になれると信じている。

キリスト教と言う西洋における共通の認識、つまりキリスト教世界と言う一種の「仲良しクラブ」の倫理と言うのだろうか、価値観、規則と言うのだろうか、ともかくその「内部」で喜び苦しむストーリーが大多数を占める中で、その仲良しクラブの暗黙の了解を乗り越え、いやそれを蹴散らし、「神になろうとした男」をこの小説は描いている。それは私のみならず、西洋の読者には、大きなショックで持って受容されたことが想像できる。

主人公、グルヌーユの最終目標、それは、この物語の主題でもあるのだが、それは「究極の香水」の調合であり、それを使って「神を越えること」である。

話はフランス国内で完結するのであるが、ダイナミックな場面展開に、いろいろな「宇宙」を垣間見られる作品でもある。

 

<作者について>

 

ズ−スキントは随分人間嫌いな人らしい。インタビューは受けないし、作品以外のものは書かないらしい。

一九四九年、南ドイツのアンバッハ生まれとある。お父さんも物書きであった。ミュンヘン大学で歴史を勉強した後、交換留学でフランスで過ごしている。卒業後、もっぱら舞台やテレビドラマの脚本を書き、小説として出版されたのは、一九八五年、この「香水」が最初である。

しかし、彼の作風を、このおどろおどろしいがダイナミックな「香水」からのみ判断していただいては困る。それ以外の作品「鳩」は小市民の内面を重箱の隅をほじるように描いている。また「ゾマー氏の物語」は一転して軽快で、ユーモアとペーソスに溢れている。結構、「書き分けられる」タイプの作家であるという感じがする。

 

 

 

<ストーリー>

 

@    主人公、グルヌーユの生い立ちと幼年時代

 

物語は一七三八年の夏、パリの魚市場で、ひとりの若い女性が男の子を密かに出産したところから始まる。夏の魚市場、そこは耐え難い悪臭の巣であった。彼女は産まれた赤ん坊を魚の臓物と一緒に処分しようとする。しかし、隣人に発見され、殺人罪で母親はギロチンにかけられ、赤ん坊は修道院に引き取られる。

修道院から里子に出された赤ん坊、しかし、乳母は間もなく赤ん坊を「悪魔の子」であるとして、修道院に返しにくる。その理由は「この赤ん坊は匂いがしない」ということでであった。

テリエ神父の計らいで、赤ん坊は最終的にマダム・ゲラールに預けられる。マダム・ゲラールは子供のころに顔面に負った怪我のせいで、嗅覚が麻痺しているのだ。彼はそこで他の数人の孤児とともに成長する。グルヌーユは、「匂い」に異常な関心と示し、どのような匂いを嗅ぎ分ける特殊な才能を持つ。その特殊さ故に、他の子供からいじめられる。また何度も死線をさまよう病気をしながらも、彼はしぶとく生き延びて成長していく。

 

A    グルヌーユの徒弟時代、最初の殺人

 

マダム・ゲラールは九歳になったグルヌーユを皮なめし職人のグリマールの下に奉公させることにする。過酷な労働と、扱う薬品の中毒により、奉公人は次々と倒れ、常に新しい奉公人を補充するという使い捨てシステム。そんな環境の中で、またもやグルヌーユは生き延び、十三歳で正式に徒弟として認められ、待遇が改善される。初めて自由時間を得たグルヌーユはパリの街を出歩く。そこで、様々な匂いを収集し、集めた匂いを整理し、自分の頭の中で匂いの図書館というようなものを作り上げていく。

ある祭りの夜、パリ中の人たちは花火見物のために外へ出ていた。グルヌーユも外出するが、セーヌ河畔で彼は、今まで出会ったこともない芳香をかすかに感じる。その芳香の源を探してパリの街を彷徨し、最後に彼はその美しい香りの発生源を発見する。それは、果物の皮をむく、ひとりの少女であった。グルヌーユは彼女に近づく。しかし、彼を見て恐怖に駆られた少女を彼は絞め殺してしまう。しかし、彼はこれまで得ることのできなかった素晴らしい香りに出会えたことに至福の喜びだけを感じ、罪の意識はなかった。

私は「最初の殺人」と書いてしまった。これで第二の殺人があることもバラしてしまったことになる。

 

B    香水職人としての修行時代

 

ある夜、グルヌーユはパリの老舗の香水商バルディーニの店に配達に行く。そして、バルディーニに働かせてくれるように頼み込む。最初バルディーニは薄汚い少年の頼みなど取り合わないが、バルディーニが取り扱っていた香水の銘柄をズバリと言い当てたあたりから、店主はグルヌーユに興味を示し始める。バルディーニはライバルの店が最近調合したベストセラーの香水の組成を、どうしても解明できずにいたのだ。グルヌーユは十分でそれと同じものを作ってみせると約束し、バルディーニはそれができたら雇ってやろう約束する。果たして、グルヌーユはライバル店の香水と寸分違わぬ香水を調合し、バルディーニの店に職人として雇われるようになる。

バルディーニの店に雇われたグルヌーユは、いろいろなものから匂いのエッセンスを抽出する技術を学び、バルディーニのために、新しい香水を次々と調合する。つぶれかけていたバルディーニの店は盛り返し、バルディーニは再び財を成す。

 

C    グルヌーユの放浪時代

 

グルヌーユは重い病気になり、医者もさじを投げる。しかし、死の床でバルディーニから聞いた未知の匂いに導かれるように、奇跡的に回復する。彼は、新たな匂いを求めて、パリを出て、旅に出ることにする。

旅に出た彼は、人間を避けるようになる。できるだけ人間に合わない道を、真夜中に移動することを繰り返す。真夜中の移動も、鋭い嗅覚を持った彼には平気の平左なのである。鼻が目の代わりをしてしまうからだ。彼は、人間の匂いのないところ、人間に犯されていない純粋な場所を探して放浪を続ける。そして、オーベーニュの高い山の上で、ついにその「理想郷」を見つける。そこは前人未到の場所であり、そこでは彼が「支配者」であった。彼は狂喜し、その後、その山の中で、トカゲや苔を食べ、岩にしたたる水滴をなめて、彼は七年間をそこで過ごす。

 

D    再び香水職人として

 

ある悪夢をきっかけに、グルヌーユは山を降り、人間社会に戻ることを決意する。七年間の山での暮らしで、彼の様相は野獣のようであった。彼を発見した人々は、彼をその町、モンペイエーの市長の下に引き出す。彼は、七年間盗賊に囚われて洞穴に幽閉されていたと嘘を述べる。その町の著名な学者、テラーデ・エスピナスはグルヌーユを引き受け、(自分の学説の実験材料としてなのであるが)庇護を与える。

彼はそこでまた香水の調合を始める。そこで、彼は画期的な香水の調合に成功する。それは、匂いのない自分に、普通人としての匂いをもたらす香水であり、(赤ん坊のときに乳母が気づいたように、グルヌーユ自身は匂いを持たないのである)もうひとつは、他人の感情までも支配してしまう香水である。

猫の糞や、腐ったチーズなど、とんでもないものから作った「普通の人間の匂いのする香水」をつけて、グルヌーユは町に出る。そしてそこで、これまで異端視してきた周囲の人間が、自分をごく普通の風景の一部として扱うことに、感涙を流すのである。

 

E    究極の香水とその材料

 

グルヌーユは密かにモンペイエーを離れ、香水の原料の産地として著名な、グレースという町に移動する。そこで、再び香水職人として働き始める。その町で、彼はパリで殺人を犯した夜に嗅いだ、あの少女が発していた素晴らしい芳香と同じ匂いを発見する。それは、厚い塀で囲まれた建物の内部から漂っていた。

しばらくして、グレースの町を恐怖のどん底に陥れる連続殺人事件が発生する。毎週ひとりずつ、町の美しい娘が殺され、髪の毛が切り取られ、着物が剥ぎ取られた状態で発見されるのである。町の参事であり、有力者であり、町で一番美しい娘の父であるリシスは、娘を殺人鬼から逃れさせるために、彼女を連れ出して、島の修道院に匿い、結婚させてしまおうと町を出る。グルヌーユはその後を追い、その一番美しい娘をも殺してしまうのである。

そのとき、目撃者が現れて、グルヌーユは逮捕される。裁判の結果、グルヌーユは公開処刑の判決を受ける。そして、その死刑執行の日、彼が、二十五人の若い女性を殺害し、それを材料に作った「究極の香水」がどのようなものであったのかが、明らかになるのである。

 

<神を越えるということ>

 

バルディーニはグルヌーユを修行遍歴のために手放すにあたり、バルディーニに調合した香水のレシピを他人に教えない、パリには戻らないなどの条件を出し、それを全ての聖人の名と、母の名と、自らの名誉において誓わせようとする。グルヌーユはいとも簡単に誓いを立てる。当時の人々の行動を制約するキリスト教的な道徳、そんなものは彼の行動を制約する屁のつっぱりにはならないのだ。

教会の抹香の匂い。グルヌーユは嫌悪感を覚える。なぜ人々はそのような悪臭の立ち込める場所に畏敬の念を抱くのか。それが彼には理解できない。「神は臭い」とまで彼は言う。そして、「オレならば、匂いによって、もっと人を引き付け、人を跪かせることができる。」そう考え始めるのである。

そして、最後の挑戦。それは「匂いによって神を越える」ことなのである。

「究極の香水」によって、それは成功したように思われた。しかし、そこには、最後に大きな落とし穴があるのであるが。

 

<オーラと匂い>

 

この作品の中では、人から発する雰囲気、「オーラ」が「匂い」と同義語で使われている。そう言う意味では、嗅覚がグルヌールほど敏感でない私たちも、実際は他人の匂いを知らず知らずの間に嗅ぎ取り、それを持ってその人の親しみを感じたり、敵対を感じたり、そんな敵味方の判断をしているかも知れない。もちろん、無意識のうちにだが。

あるいは、家に帰ってきて、何となくほっとした気分になるのも、自分のベッドに潜り込んで安心した気分になるのも、その家やベッドの発する「オーラ」、匂いのせいなのかも知れないと、何となく考え込んでしまった。

犬と一緒に暮らして、犬を一緒に歩いていると分かるのであるが、人間が余り利用しないだけで、嗅覚というのは、視覚や聴覚に勝るとも劣らない、雄弁な世界なのかも知れないと思った次第。

しかし、グルヌーユが猫の糞と腐ったチーズから、「普通の人間の体臭のする香水」を作り出すくだりには苦笑してしまった。いくらきれいな女性でも、人間の体臭なんて、しょせん、そんなものなのであろう。これは誇張でないような気がした。

グルヌーユのような人間が、現実的に存在しえるのだろうか。前述したが、嗅覚は人間が他の動物に比べて最も劣っている点である。動物の中には、視覚も聴覚も発達していなくて、嗅覚だけで生きているものもあるという。昆虫は僅かな量のフェモロンで異性見つけ、鮭は何千キロもの大海原を旅しながら、最後には、匂いを頼りに生まれた川に戻ってくる。三原色で構成される視覚とことなり、嗅覚の構成素は千以上にも上るという。

脳の本を読んでみると、人間にも、ウサギと同じくらい、匂いを判別できる能力があると言うことだ。これは結構いい線らしい。ただ、人間には、視覚、聴覚を使った素晴らしい意思伝達方法があるため、嗅覚は、使われていない、訓練されていない。そのため、人間の嗅覚は動物に劣るのだと言う。もしも、人間の持てる潜在能力を百パーセント発揮できたら、グルヌーユのような人物の存在は可能かも知れない。

 

<グルヌーユと関係した人たち>

 

グルヌールと関係した人たちの消息が、結構事細かに書いてあるのが面白い。彼らは皆、不幸な結末を迎えてしまう。

まず、グルヌールを赤ん坊のころから育て、最後は皮なめし職人に売り渡したマダム・ゲラール。彼女は孤児に対する食費を切り詰めることで、つまりロクなものを食わさないことで金を貯める。そして、彼女は長生きするが、フランス革命後、それまでこつこつと貯めた蓄えを全て失い、共同墓地に投げ込まれるように葬られる。

皮なめし屋の主人のグリマール。グルヌールを雇うことになった香水職人のバルディーニからもらった保証金、「ラッキー」と思ったのも、つかの間。その金で大酒を飲み、川に落ちて溺死。

バルディーニ。グルヌールの残した数多くの香水のレシピにより、金儲けを夢見ながら眠っている際、家が突然崩れて死亡。セーヌに流れ込んだ香水の原液により、大西洋までその匂いが届いたと言う。

山を降りたグルヌーユに庇護を与えたテラーデ・エスピナス。

「生命は地上からある特定の距離を保ってのみ成長する。というのは地上からは『フルイダム・リターレ』という生命力を弱めるガスが発せられているからである。」

という説を展開。それを更に実証しようと、冬山で実験中に雪崩に巻き込まれ死亡。

彼らは、グルヌーユを利用して金儲けをしたつもりであるが、実のところ、グルヌーユはとんでもない疫病神で、彼らを踏み台にして、彼の方が自分の野望を遂げていくのである。

 

<読後感など>

 

読んでいて、余り楽しい気分になる作品ではない。ドロドロとした、グロテスクな世界が次々と繰り返される。ただ、独特の、閉じられた空間を持つ作品であり、その空間の放つオーラにより包まれてしまうと、何となくグルヌーユの作った香水の虜になってしまったようで、読み出すとやめられない小説であった。