「料理人」

Der Koch

2010年)

 

 

<はじめに>

 

 スリランカ人の亡命コック、マラヴァンの作る不思議な料理「ラブ・フード」、食べるとセックスがしたくなる。美人ウェートレスのアンドレアがマネージメントを引き受け、ふたりは二人三脚で「ケータリングサービス」を始める。果たして、成功するのだろうか。

 

<ストーリー>

 

マラヴァンはスリランカからスイスに亡命申請中のタミル人、祖国ではコックであったが、現在はスイスのフランス料理店「フイラー」の厨房で、下働きとして働いている。独身ではある彼は、残りの家族や親戚を全てスリランカに残して独りでスイスに暮らしている。内戦の続くスリランカでは、家族や親戚が、彼からの送金を頼りにして生きていた。スイスのレストランの厨房には、そんな亡命したか、亡命申請中のスリランカ人が大勢働いていた。

マラヴァンは、働きに出た父母に代わって、料理人である大叔母のナンガイに育てられた。厨房が彼の遊び場であり、彼は幼い頃から料理に慣れ親しんだ。スリランカでコックとして働いていたマラヴァンは、スイスの来てからも、深夜独りで料理の研究をしている。

「フイラー」に美人のウェートレスが入ってきた。彼女、アンドレアに対して、男性の従業員は色目を使い出すが、アンドレアの誰にも関心を示さない。唯一、彼女はマラヴァンに対しては、優しい表情と微笑を見せた。

ある日、コックのひとりのが、「おまかせ・サプライズ・メニュー」として、カレーを出すことになる。幼い頃からカレーを作っているマラヴァンは、シェフに、

「一度カレーの作り方を教えようか。」

と言う。下働きから料理を教えようとかと言われたシェフは激怒する。そこへアンドレアが割って入り、

「じゃあ、私に一度カレーを作ってちょうだい。」

と言う。そして、マラヴァンは、次の定休日に、彼の家にアンドレアを呼んで、夕食を作ることを約束させられてしまう。

 アンドレアとの会食に備え、マラヴァンは張り切って前日から準備を始める。彼は特殊な調理器具を無断でレストランから借り出した。定休日の翌日の朝早く返しておけば、誰も気付かないと思ったのだ。

 彼は腕によりをかけて料理を作る。アンドレアは彼のアパートに現れ、マラヴァンのスペシャル料理を食べる。食事の後ふたりはベッドを共にする。

 翌朝、一番に店に行って、無断で借りた調理器具を返そうと思ったマラヴァンだが、乗っていた市電が事故に遭う。市電の中で転びそうになったマラヴァンは、同じくスリランカ人若い女性、サンダーナと出会う。結局遅刻したマラヴァン、調理器具を持ち出したことがバレて、即刻クビになる。アンドレアはマラヴァンがいないのに気付く。コック達から事情を聞いた彼女は、

「あんたたちが全員でかかっても、マラヴァンにはかなわないわ。料理もベッドの中でも。」

と言い放ち、自分も店を辞める。

 失業したマラヴァンだが、彼が「フイラー」をクビになった理由が同業者にも伝わっているため、レストランの厨房では働けない。彼は色々な職業を試みるが、どれも上手くいかず、生活に困窮するようになる。スリランカの内戦は悪化し、彼の家族達は益々金を送るように言ってくる。彼は仕送りのために借金をする。彼がフイラーを辞めてから、アンドレアからは何の連絡もなかった。

 アンドレアはその頃、後悔をもって、自分の行動を分析していた。彼女は本来レスビアンであった。しかし、マラヴァンとの食事の後、自分でも分からないままに彼と寝てしまった。彼女は、マラヴァンが、食事の中に、何か媚薬のようなものを盛ったのだと確信する。

 経済的な困窮に加え、スリランカの情勢と大叔母のナンガイの糖尿病が更に悪化たことに心を痛めているマラヴァンはアンドレアの訪問を受ける。アンドレアはマラヴァンに、

「食事にどんな細工をしたのか白状しなさい。」

と詰め寄る。マラヴァンは、自然の材料を、伝統的な方法で調理したに過ぎないと答える。アンドレアにひとつの考えが浮かぶ。それは、不思議な効果のあるマラヴァンの料理を売り出すことだった。

 アンドレアは自分のレスビアンの友人に、マラヴァンの料理を食べさせる。効果はてきめんであった。彼女たちは食事の後、激しく求めあった。マラヴァンの料理の効果を確信したアンドレアは、セックスカウンセラーの女性、エスター・デュボアにもその料理を食べさせる。エスターはセックスで悩む自分の患者に、マラヴァンの料理を紹介することを約束する。

 マラヴァンとアンドレアは本格的に「ケータリング・ビジネス」を始める。もちろん、非合法なのだが。アンドレアが客を見つけ、マラヴァンが調理し、儲けを半々ずつ取ろうというものだった。アンドレアは自分達のビジネスを「ラブ・フード」と名付け、そこで提供する料理を「ラブ・メニュー」として売り出す。マラヴァンの料理の噂は、セックスに問題のあるスイスの富裕層に口コミで広がり、次々と注文が舞い込む。ふたりは毎日のように客の家に出向き料理を作り、マラヴァンは借金を返済しただけでなく、貯金もできるようになる。

 「フイラー」の常連客のひとりにエリック・ダルマンという男がいた。彼は、色々な企業の経営者の間で、ビジネスを仲介することで、利益を得ていた。「フイラー」はその仲介の場でもあったのだ。彼は、ある日、フイラーで食事中、心臓発作で倒れる。彼は命を取りとめ、リハビリに励んだ後、数ヵ月後フイラーの客として復帰する。しかし、「リーマン・ショック」以降、彼を取り巻く環境は明るいものではなかった。彼は次第に、武器の売買の仲介等の「危ない」ビジネスに手を出していく。

 マラヴァンはヒンドゥーの祝祭で、一度市電の中であった女性サンダーナと再会する。「ラブ・フード」は、相変わらず、非合法なままであった。アンドレアは、最初セックスカウンセラーのデュボアから紹介された以外の客を取り始める。しかし、それがデュボアにばれて、怒ったデュボアは「ラブ・フード」に対する協力を断ってくる。その結果、「ラブ・フード」に対する注文は激減して、アンドレアとマラヴァンは窮地に陥る。

マラヴァンは、解放軍に志願した甥を守るために、解放軍への寄付金が必要になる。アンドレアとマラヴァンは金のために方針を転換し、「セックス」を前面に押し出した商売をし、多少の危ない橋も渡っていこうと決心する。

 アンドレアはクルという男と知り合いになり、彼が仕切る「エスコート・サービス」と共同で仕事をすることにする。「エスコート・サービス」とは、取りもなさず、売春婦の派遣業であった。レスビアンのアンドレアはその「エスコート・サービス」で働くケニア人の女性、マケーダと出会う。レスビアンのアンドレアはマケーダに夢中になる。一方、仲介業のダルマンは、マラヴァンとアンドレアの営む「ラブ・フード」の存在を知り、彼等を自分の仲介業の手段として使えないかと考えはじめる。

 マラヴァンとアンドレアは、元締めのクルからの依頼を受けて、スキーリゾートに出向く。そこにはマケーダも来ていた。アンドレアはマケーダと恋に落ちており、マラヴァンはそれに嫉妬をしていた。そして、そのスキーリゾートにはダルマンも居た。彼はそこで武器の取引をするパキスタン人と会う。ダルマンは、そのパキスタン人の客をもてなすために、クルを通じて売春婦の手配をし、アンドレアを通じて食事の手配をする。

 パキスタン人をもてなすことに成功し、ビジネスを取り付けたダルマンは、部下のシェーファーを通じて、自分の大事な客を、「ラブ・フード」でもてなすことにする。彼は自分のマンションでの夕食会を企画する。その夕食会にクルから派遣されたマケーダも出席する。ダルマンも、美しい黒人女性に心を奪われる。

 マラヴァンは、「非道徳的な」客たちに食事を提供することに次第に嫌気をつのらせる。そんな中、彼はヒンドゥーの祭「ポンガル」の料理を引き受ける、その料理の準備の最中、彼は再びサンダーナと会う。彼女は、両親から強要された縁談から逃れたいと思っているところだった。ふたりは、初めて親しく話をする。数日後の夜、両親の家を飛び出したサンダーナがマラヴァンのアパートにやってくる。サンダーナは翌朝まで、マラヴァンのアパートにいて、その後、女友達のアパートへ移っていく。

 マラヴァンは自分がサンダーナを愛していることに気付き始める。しかし、ふたりの「カースト」が違っているため、スリランカならば、本来結婚が許されないふたりであった。スリランカでは、政府軍が解放軍を追い詰め、戦いはいよいよ市民を巻き込んだ過酷なものになっていく。

マラヴァンは祖国からふたつの悪い知らせを受ける。ひとつは大叔母のナンガイの死、もうひとつは甥が少年兵として「解放軍」に加わったという知らせだった。マラヴァンは、甥を救うために「解放軍」の要人に寄付という名の賄賂を贈ることで、益々金が必要になってくる。

ダルマンが仲介したパキスタン人の武器業者は、その武器をスリランカに流していた。それが、マスコミに暴露され、マラヴァンは、祖国の戦争に油を注いでいる輩に自分が協力していたことを知る。彼は、即刻「ラブ・フード」から手を引こうと考えるが、思い直し、ある企てをする。そして、アンドレアとマケーダに協力を要請する・・・

 

<感想など>

 

この物語を理解するには、スリランカの情勢を理解する必要がある。スリランカには仏教徒であるシンハラ人とヒンドゥー教徒であるタミル人が住んでいる。スリランカでは、一九七〇年代に仏教を擁護するシンハラ人が政権についてから、タミル人が独立運動を展開していた。一九八〇年代には、LTTE(タミールの虎)が独立宣言をして、内戦が激化する。政府軍とLTTEは市民を巻き込んだ激しい戦闘を繰り広げる。そして、二〇〇九年、最終的に内戦はシンハラ人の政府軍の勝利に終わる。この物語は、その内戦が最終段階に入った二〇〇八年から二〇〇九年を舞台にしている。

二〇〇八年は、スリランカだけではなく、全世界にとって激動の年だった。「リーマン・ショック」が起こり、各国で株価が暴落し、経済は一挙に停滞期に突入する。レストランの客は減り、これまで甘い汁を吸っていた人々に、蜜は回って来なくなる。そんな時代を背景にしている。

主人公のマラヴァンは迫害を逃れてスイスに亡命している。スイスには、同じように亡命したタミル人が多数いて、ひとつのコミュニティーを作っている。亡命した人々が、気候も文化も生活様式も違う国に住みながら、故国での生活をできるだけ守っていこうとしている努力には驚くべきものがある。

 しかし、亡命生活が永くなるにつれ、異国の中で祖国の伝統と文化を守っていくことは次第に困難になる。内戦を逃れ亡命した人々が、祖国の文化と亡命先の文化の間で悩む姿も描かれている。そのひとりがサンダーナである。彼女の両親は、娘を親が決めた相手、カースト的に見て吊りあった男と結婚させようとする。しかし、彼女は、スイスに生まれて、スイスに育っている。彼女は、両親と対立して家を出る。

 マラヴァンも信心深い男である。彼は、家に祭壇を設けて、朝晩拝んでいる。サンダーナを好きになったときも、彼にとって最大の問題は「カースト」の違いであった。外国に何年住もうとも、沁みこんだ文化と伝統は容易に変わることがない、そんなことを感じさせる。

このストーリーの主人公は、マラヴァンとアンドレアであるが、本当の主人公はマラヴァンの作る「料理」である。物語の中に、延々と、マラヴァンの作る料理の原材料、作り方の記述が続く。それどころか、本編が終わった後、二十ページを割いて、マラヴァンが物語の中で作った料理の「レシピ」が掲載されている。材料を見る限り、それほど特別な材料を使っていないように見えるが、食べた人には「セックスがしたくなる」という効果があるという。一度、試してみたい気がするが、本当にセックスをしたくてしたくて堪らなくなったらどうしよう。

私は、この本を読んで、ドイツの作家パトリック・ズースキントの「香水」を思い出した。主人公の作った「究極の香水」を嗅いだ人には「他人を愛す」心が芽生え、人々はお互いにセックスに走ってしまうという話だった。一方は料理を通じ、他方は香りを通じてだが、背景には同じものがあると思う。

この本を読んで、ビジネスにおいて「PR」、「マーケティング」の大切さを感じた。いくらマラヴァンが優秀で稀有な料理人であっても、亡命タミル人である限りは、スイスで成功を収めるのは難しい。誰もが振り向く絶世の美女のアンドレアが、「セックスをしたくなる料理」を売る、それによって人々は料理を注文するのだと。料理店では味ももちろん大切だが、何より雰囲気が顧客の満足度のためには大切なのだと思う。

マラヴァンは純朴な男である。しかし、アンドレアに最初に料理を食べさせたとき、自分の作る料理の「効果」については知っていた。そのことは、後に彼と料理の師匠である大叔母との電話での会話で明らかになる。この点に関して、彼は「確信犯」なのである。

主人公はマラヴァンであるが、もうひとつの筋はダルマンである。自ら美食家を任じ、高級フランス料理店、フイラーの常連である彼も、自らの病気、経済活動の停滞で、次第に活動場所を失って行く。起死回生で賭けた商売が、パキスタンへの武器の輸出であった。内戦で大勢の人間が難民となっている中で、それをネタに儲けている人間が隣にいる、そんな設定になっている。彼は黒人の美女、マケーダを巡ってアンドレアと三角関係を繰り広げる。 

料理の話、私は個人的に料理を作ることが好きなので楽しく読めた。しかし、作者のズーターはこの本を書くために、膨大な時間を料理のレシピ収集と分析に使ったものと思われる。

 

2012年7月)

 

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