フラットベッド

 

ロンドン・シティー空港でプロペラ機の「フォッカー五十」に乗り込む。

 

 最近は、どの航空会社も、ファーストやビジネスクラスでは「フラットベッド」を売り物にしているものが多い。背もたれを倒すと、完全に平らになるシート。狭い座席にギューギュー詰めにされているエコノミーの乗客を尻目に、大枚の金を払った乗客は、手足を伸ばして眠ることができるのである。

しかし、エコノミークラスだって、時と場合によってはそれが可能になる。今回はそうなった。とってもラッキー。

二〇〇八年三月十四日、僕はロンドンを発ち、アムステルダム経由で、大阪へ向かった。まず早朝、タクシーでロンドン・シティー空港へ向かい、アムステルダムのスキポール空港行に乗る。機材は五十人乗り程度のプロペラ機「フォッカー五十」。ロンドン・シティー空港は滑走路が千五百メートルしかないので、ボーイングやエアバスの中型機は離着陸できないのだ。

アムステルダムからの機材はKLMオランダ航空のボーイング・トリプルセブン(七七七)である。四、五年前までは、多くの会社が日本線にはジャンボ機を就航させていたものだが、客足が落ちたのであろう。今ではひとつ小ぶりのボーイング七七七かエアバス三四〇が幅を利かせている。

アムステルダム・スキポール空港では大阪弁の会話が待合室と機内に満ちている。関空行KL八六七便の乗客は七分の入りというところ。空いてもいないし、満員でもない。何故か、僕の両側には誰にも乗客が座ってこない。その状態で飛行機が飛び立ったときと、僕は「やったー」と叫んだ。三席独占。フラットベッドの実現である。目ざとい他の乗客が僕の隣の空席を見つけてやって来ぬように、僕は座席ベルト着用のサインが消えるとすぐに、両側の肘掛を跳ね上げ、毛布をかぶって横になり、「おいらは独りで三席独占するもんね」という意思表示をした。そして、食事のとき以外は、その姿勢を守り通したのである。日本へ発つ数週間前から仕事が忙しかった。出張なども多く、熟睡できない日が多かった僕は、食事を済ませ、父から送ってもらった睡眠薬を一粒口にするや、ぐっすりと眠ってしまった。

休暇に入る前、数週間、「豪商事」という顧客の仕事を担当していた。僕は、夢の中で「ご〜、ご〜、豪商事、豪商事の庭は、つん、つん、月夜だ皆出て来い来い来い。」などという、意味不明の歌を唄っていた。

目を覚ます。飛行機がどこを飛んでいるのかを目の前のスクリーンで確かめると、機は黄海から朝鮮半島を横切っているところであった。残り飛行予定時間が二時間半と表示されている。七時間以上眠っていたことになる。父がいつも旅行前に分けてくれる睡眠薬の威力はいつもながらすごい。

いつもはモンゴル上空でヨーコに手紙を書くのに、今回はその暇も無い。飛行機は日本海を越え、更に中国山地の上空を飛ぶ。雲のたなびく山の上を飛んでいるのを見ると、何故か、ガダルカナル島の上空を飛んだときのことを思い出した。

 

アムステルダム・スキポール空港にて翼を並べるノースウェスト機

 

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