南禅寺

 

南禅寺にて。

 

 三月二十七日木曜日。あと日本にいるのも後二日間。

姪のカサネを含め会食した翌日から父の元気がない。痛みがひどく食が進まないらしい。本人は来週の頭から、痛み止めの治療のために入院しようかと考えているようである。福岡の姉にも、父の様子を知らせる。ただし、入院をし、モルヒネを入れる点滴をしても、身体が弱るだけで、あまり効果のないことは本人が一番よく知っている。そして、仮に父が来週入院しても、僕は、英国に戻る他はない。飛行機の切符は延長できたとしても、仕事のことを考えると、これ以上職場を空けてはいられない。

 この日は、僕自身が病院で、心臓の専門医の診察を受ける日でもあった。英国の医者は、きみの心臓は通常に戻っている、もう治療する必要はないと言っている。しかし、僕はまだ走れないし、坂も登れない。

僕は、日本の医者のセカンドオピニオンを聞きたかった。基本的に英国のNHS(国民健康制度)は無料である。無料であるがゆえに、不必要な治療はできるだけしないでおこうという観点から決定が下される。反対に日本の病院は基本的に有料である。患者から金を取るためには、できるだけ、検査、治療をしたいという方向からの決定がなされる。そのギャップがどのくらいあるのか知りたかったである。

 専門医は心電図とエコーには異常が認められないが、血管の中の様子までは分からないので、一度カテーテルかMRIによる検査を薦めてくれた。しかし、あと二日では無理。英国に一度戻り、現地で医者と相談し、必要があればまた日本に戻って来るしかない。

 三月二十八日。金曜日。幸い、父は身体を維持していくだけの食欲は戻ったよう。入院は延期となりそうな気配である。僕は朝から、妻と娘たち、自分自身に土産を買うために四条に出る。レコード屋で落語のCDを買い込む。妻と娘たちの土産を選ぶのは本当に難しい。えいやっと、適当に目に付いた物を購入する。

 新京極を歩いていると、うどん屋の前から、数日前に嗅いだあのダシの香りがしてきた。午後十一時、もうその匂いに抵抗できなくて、うどん屋に入り、うどんを食った。

 買い物を終えるとまだ正午過ぎ。僕はまだ行ったことのない、南禅寺に足を向けてみることにした。新京極を抜け、京都市役所前から地下鉄の東西線に乗り、蹴上でおりる。目の前にインクラインがある。インクラインは、船による交通の目的も果たした京都疎水が、水力発電の為に一時的に使えなくなる区間、船を運んだレールである。インクラインに沿って坂を下り、右に曲がったころが南禅寺であった。有名な山門がある。境内には既に桜が咲き始めていた。境内を一周する。門前に湯豆腐の店が並んでいるが、今は食べる気がしない。

 午後三時には家に戻り、荷造りをする。スーツケースは土産物で満杯になり、制限重量三十キロギリギリ。夕方、例によって銭湯へ行き、父母との夕食。その後、セリーグ開幕戦、阪神対横浜をテレビで見て、日本最後の日は終わった。幸い阪神は勝った。

 

咲き始めた桜とインクライン。

 

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