クルト・ヴァランダーを追いかけて

 

イスタード市観光協会が作っている「ヴァランダーの足跡を訪ねて」というパンフレット。

 

 ヘニング・マンケルは現代スウェーデンを代表するミステリー作家だ。彼の連作「警視クルト・ヴァランダー」シリーズは、スウェーデン国内のみならず、ドイツや英国でも根強い人気がある。どんな小さな本屋でも一冊は必ず置いてあるくらい。

 

 出張が多い僕は、空港や飛行機、ホテルなどでいつも本を読んでいる。昨年の初め、ドイツにお住まいの女性から、「マンケルって面白い」とご紹介をいただいた。その時は、マンケルがどの国の作家なのかも知らなかった。ドイツ・アマゾンで薦められた本を数冊発注、送られてきた本の裏表紙を見て、初めて作者がスウェーデン人であることを知った次第。そんな軽いきっかけで、僕はマンケルをドイツ語で読み始めた。そして、すっかり「はまって」しまった。結局、僕は十ヶ月で十一冊の連作を全部読み終えた。ヴァランダー・シリーズを全作読破した日本人って、おそらく片手で数えられるくらいだろうな。

 

 家族と離れることの多かった十ヶ月を、僕はクルト・ヴァランダーと一緒に過ごしたと言ってよい。主人公ヴァランダーはスウェーデン南部、スコーネ地方のイスタードという小さな町の警察署で働いている。年齢は連作が始まったときが四十歳程度、最新作では五十歳を越えている。ひとり娘は自殺未遂を起こした挙句に家を飛び出し、妻には逃げられ、その後の不摂生から糖尿病を患う、一見冴えない中年男である。しかし、イスタードとその周辺の町々で起こる殺人事件を、彼一流の直感と、驚異的な粘りで解決していく。

 

どうして、ヴァランダーの本に「はまった」のかと考えてみる。やはり、主人公が僕と同年代で、仕事や家族に関して同じような悩みを抱えていることがあるだろう。しかし、それ以上に、魅力的な登場人物が多かったことが、一番の理由だと思う。ヴァランダーもさることながら、「数十年間」同じモティーフの絵を描き続ける頑固一徹な彼の父親。父親とはまた全然違ったパターンで行動力がある娘リンダ。数少ないが友人達。警察の同僚たち。そして犯人たちでさえ、それぞれ個性的で、最後に僕は皆を実在の人物のように錯覚していた。そして、南スウェーデン、スコーネ地方の僕にとって未知の風土と自然。

 

 昨年の十二月、最後の一冊であった「霜の降りる前に」を読み終えた瞬間、僕はイスタードを訪れることを決意していた。そして、二月の上旬に的を絞り、仕事を調整し、飛行機の切符を予約した。イスタード行きを決めてから出発までの一ヶ月半の間、僕はふたつの準備をした。ひとつはスウェーデン語のCDを買って車の中で聞き始めたこと。もうひとつはイスタード市観光協会から地図とパンフレットを取り寄せたことだ。まさか一ヶ月半でスウェーデン語が話せるようになるとは思わなかったが、僕は、最低、登場する人物や土地の名前をスウェーデン式に発音したかった。また、訪れる前にいわゆる「土地勘」を養っておきたかったからだ。

 

 二〇〇五年二月三日午前四時半、僕は車でスタンステッド空港へと向かった。そこから七時発ライアンエアのスツルップ行きの飛行機に乗る。そして、二時間弱の飛行の後、その日の昼前には、スツルップから四十数キロ離れたイスタードに着いているはずだった。

 

スツルップ空港

 

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