霧のかなたのコペンハーゲン

 

   

ドイツ語から何となく想像がついてしまうスウェーデン語の標識、  ここから世界経済の混乱が始まるはずだったATM

 

二日目、七時前に起きて街をジョギングした。夜明けは意外に早く、あたりはもう明るくなり始めている。街を一周走ったが、二十分しかかからなかった。それでもう一周走る。

 

ホテルでの朝食の時、テーブルの上に歯磨きのようなチューブが置いてあった。何かペースト状のものが入っているらしい。パンに塗ってみると「タラコ」のペーストだった。美味しい。パンに塗るのもいいが、辛子明太子の感じで、ご飯にも合いそうな気がする。

 

朝食後、レンタカー屋でオペル・コルサをピックアップする。その車で町外れのショッピングセンターへ行き、ちょっと買い物。もちろん、チューブに入ったタラコも買う。スーパーマーケットでビールは売っているが、ウィスキーやワインなどの強い酒は置いていない。それらの酒は国の専売になっているので、システムボゲットというイスタードで一件だけの国営店に行かなければ買えないのだ。

 

駐車場の脇にATMがあった。このATMも、実はマンケルの小説の中で重大な役割を果たすのだ。「防火壁」の中で、犯人がこのATMから世界経済を混乱させる指令を送ろうとしたのだ。しかし、これはいくらなんでも荒唐無稽すぎる。マンケルは、難民問題、東欧社会主義の崩壊、南アフリカの人種差別政策、多国籍企業の犯罪、コンピューター犯罪等、社会問題を巧みに筋に取り入れている。その努力は認めるが、たまに専門家から見るとちょっとおかしいと感じるところもある。

 

今日の目的地は、橋を渡ってデンマークのコペンハーゲン。「霜の降りる前に」で、リンダが失踪した友人のアンナを探すために、何度も通るルートでもある。イスタードの街を出て、高速道路、E六十五に入る頃から急に霧が深くなった。マルメーを過ぎ、車が橋にかかる頃には、視界が五十メートル以下になる。二〇〇〇年に完成した長さ十六キロの長大な橋。鉄道と道路の二階建てだ。スウェーデン側に料金所があり、通行料は二百八十八クローナ。五千円近い。リンダが高い通行料についてぼやいていたことを思い出す。

 

一時間ちょっとで、コペンハーゲンへ着いた。街の中心、チボリ公園の前の駐車場に車を停める。そして、その辺りを散歩してみた。中央駅で、絶対日本人だと思って、若いお兄ちゃんに声をかけたら、グリーンランド人だった。エスキモーと日本人は似ていると、犬橇で北極を走破した植村直己氏が書いていたのを思い出した。コーヒーショップへ入ると、三人の若いお姉さんがカウンターの中で働いていた。皆可愛い。見回しても、デンマーク人の若い女性はきれいだ。十人のうち八人までを美人だと思った。街を無数の自転車が走っているところが、アムステルダムと似ている。

 

午後一時にコペンハーゲンを出発、スウェーデンに戻る。橋にさしかかるが、霧は晴れていない。霧の中につっこんでいく感じ。突然橋が切れていても、気がつかないで海に落ちてしまうだろう。ラジオでアバの曲がかかった。「テイク・ア・チャンス」だ。そう言えば、アバはスウェーデンのグループだ。あの人たちも、もういい歳だろうなと思う。「アバ」のふたりの女性は、もう「ババ」になっているかな、とつまらないことを考えてしまった。

 

      

コペンハーゲンのサーカス、  デンマークの電車は「しもぶくれ」

 

 

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