休暇は何のために必要か

 

 「待ちに待った」と言うほどのこともないけど、久しぶりの休暇。前回のまとまった休みは、昨年の十一月だった。それから丸六ヶ月、土日と、英国では数少ない「国民の祝日」以外、ずっと働き続けたことになる。特にここ数週間は、オフィスの引越しなどあり、忙しかった。先週は土日も出勤したし、このところ十日以上休みなしだ。

明日から休暇ということで、昨日はオフィスを出るときに、同僚たちが、

「モト、ハブ・ア・グッド・ホリデイ!」

と言ってくれた。しかし、その時は、嬉しいと言うより、仕事を何とか片付け、自分のいない間の二週間の段取りをし終わって、正直ホッとした気分の方が強かった。

今回もひとり旅。今朝は、妻に車でヒースロー空港第四ターミナルまで送ってもらった。心穏やかに出発するために、今日は妻の「手に汗握る運転」にも何も言わないでおいた。(いつも僕は彼女の運転にケチをつけて、車の中がちょっと険悪な雰囲気になってしまうのだ。)

空港に到着。出発までまだ三時間以上ある。チェックインとセキュリティーチェックを済ませ、中に入る。クラシック音楽のCDを買う。四枚組みで八ポンド(二千円弱)。安い。ピアノ、ヴァイオリン、ギター、それにオーケストラがそれぞれ一枚ずつ入っている。

コンコースのベンチに座り、先ずピアノのCDをプレーヤーに入れる。イヤフォーンを耳に入れて、聴いてみる。ショパンの「ノクターン第二番」が頭の中に流れ出した。そのとたん、前を行きかう人々の歩くスピードが、急にスローモーションになったような感じ。そして、それと同時に、脳の中の氷が解けるような感覚。

最近、犬と散歩をしていても、風呂に入っていても、食事をしていても、心の中のどこかで仕事のことを考えていたようだった。頭の中に広がるピアノの音が触媒になって、その心の「しこり」のようなものが融けていくのを感じる。休暇って、こんな気分を味わうためにあるのかなと思った。

「ノクターン」が終わると、次にベートーベンの「月光」が流れ出した。

 

 

待ち時間も楽しいもの

 

 旅は好きなほう。でも昔は待つのは苦手だった。待ち時間、車内、機内の時間をとてつもなく長く感じたものだ。

大学生の頃、休みの度に、金沢から姉夫婦の住む北海道は帯広まで行った。最初は金沢発の急行「しらゆき」で、それが廃止になってからは特急「白鳥」で青森まで行った。そこから青函連絡船に乗り、函館からまた列車を乗り継いで帯広へと向かった。二十時間近い旅。

また、ヨーロッパに住み始めた当時は、ヨーロッパ便の飛行機はまだ北極回りだった。アンカレッジ経由で十七時間余り。いずれにせよ、それはイライラするほどの長い時間だった。車内や機内で時計を見ても、時間が止まったようで、時計の針が全然進まないのだ。

 最近は、待ち時間、乗り物の中の時間がそれほど気にならなくなった。それにはふたつの「秘密」がある。本と睡眠薬。

最近忙しくて本を読んでいる時間がない。夜、ベッドの中で本を広げるのだが、三ページも読まないうちに眠ってしまう。半分眠りながら読んでいるので、内容が頭に入らない。だから翌日また同じところから読み始める。そして、また三ページで眠ってしまう。その翌日また同じところから・・・、これでは何時までたっても進まない。

旅行中は存分に時間がある。待ち時間、機中、車中の時間は格好の読書タイム。今回も、読みかけのヘニング・マンケルの新作を携えている。

しかし、読書だけでは眼が疲れてしまう。そこにCDプレーヤーがあれば完璧。読書に疲れれば、今度は音楽鑑賞タイムになるのだ。しかし、それでも退屈が限界に達することがある。そこで、「薬」(ヤク)の登場。

日本に帰る前日の夕方、僕は医者に寄り、精神安定剤を処方してもらった。飛行機の中で「パニックアッタク」を起こすのを避けるという理由で。「パニックアタック」は心に急に不安の雲が広がり、呼吸が激しくなる症状。実際、数年前までは、飛行機に乗る度に気分が悪くなっていた。

飛行機に乗り込み、座席に着くやいなや、スチュワーデスのお姉さんに水を貰い、

「一度に一錠だけですよ。それ以上飲むと、目的地に着いても眠ったままですからね」

と、薬局のお姉さんに言われた薬を、数錠口の中に放り込む。こうすると、十時間以上かかかる飛行機の旅の、半分は眠って過ごせるわけだ。さすがに、十時間余り、起きたまま飛行機の中に「閉じ込められている」のって、耐えられない。そんなときは、眠るのが一番。

 

 

着物のすーさん

 

  ロンドンからアムステルダム行きの飛行機に搭乗の際、黒い縦縞の和服の着流しに、下駄履き、頭はちょんまげ風のポニーテールの若い男性が前を歩いていた。

「旅行の際はいつも和服ですか?」

と聞いてみる。そうです、との返事。リュックサックがちょっと不似合い。弥次喜多風の振り分け荷物か、風呂敷包みなら完璧なのに。

 オランダ航空ボーイング七三七型機の中で、彼とは通路を挟んで同じ列であった。彼、須藤くん、通称「すーさん」と話をする。(「スーザン」は英国では女性の名前なので英国人は聞いたら「えっ」と思うだろうな。)彼は、ガールフレンドと一緒に渡英したが、父さんが病気で、急遽独りで日本へ帰るのだという。

いつも和服を着ているのかと聞くと、そうだとのこと。

「注目されたでしょう。」

と聞くと、すごく注目されたと言う。ただ、好評だったのは英国人からだけで、街で会った日本人からは、冷たい目で見られたとのこと。まあ、日本人旅行者同士は、国外では無視し合うものなのだけど。

彼は、カムデンマーケットで、「鯛焼き」を売ろうとしていた。結局許可が下りず、売ることはできなかったそうだが。でも、カムデンマーケットで、知り合いの店を手伝っていたとのこと。

ここで、カムデンマーケットについての説明が少々必要かも。若者向けの大規模な蚤の市みたいなもので、「それがなくても普段の生活には絶対に困らないものを売っている場所」というのが僕の定義。店を出しているのは、ちょっとパンキーなおっちゃんたち、おばちゃんたちが多い。

 和服と下駄をめぐるエピソードをすーさんから色々聞く。

「テーブルの上に乗って歩いている人がいる。」

と子供に言われたとか。なるほど。

彼は普通の下駄の他に、一本歯の下駄も持っているとのこと。「天狗さん」みたい。歩きやすいけど立ち止まれないと彼は言った。それも何となく想像ができる。

 話が弾んでいる中で、飛行機はアムステルダムに到着。成田行きの飛行機に乗る彼と、関空行きの飛行機に乗る僕は、スキポール空港で別れた。

 

 

ビジネスクラスとグリーン車

 

 アムステルダムから関空行きの飛行機は午後二時過ぎに出発。ボーイング七七七である。昔はジャンボ機が飛んでいたのだが、最近は乗客が減ったのだろうか。少し小ぶりの飛行機だ。

七割くらいの席の埋まり具合で、幸い僕の隣の席は空いていた。二席独占で「おねんね態勢」に入る。早速、例の精神安定剤を先ず二錠飲む。食事を済ませ、もう一錠追加すると、すぐに眠ってしまった。目が覚めたらモンゴルの上空を飛んでいた。四、五時間眠ったらしい。

その後、高校の同級生のヨーコに絵入りの手紙を書いた。彼女には一年に一度しか手紙を出さない。そして、その手紙は、必ず日本へ向かう飛行機の中で書くことになっている。不思議な習慣だ。

 飛行機は無事関空に到着。土曜日の朝九時半。駅の窓口で、「ジャパンレイルパス」の引換券を渡し、十四日間、日本全国JRグリーン車乗り放題のパスを受け取る。

 関空発京都行きの特急「はるか」のグリーン車の乗客は、僕ひとりだった。どっちかと言うと、日本国内は普通車で良いから、往復の飛行機はビジネスクラスに乗りたいものだ。しかし、一生かかっても、そんな身分にはならないことは分かっている。ビジネスクラスに乗るには十数万円余分にお金が必要。そんな金があったら、絶対日本で何か買い物をする。

日本は午前十時だけど、ロンドンは午前二時。飛行機の中で眠ったにもかかわらず、時刻のせいか、僕の頭はイマイチはっきりしない。前の席を回転させて、足をそこに投げ出して、僕はぼんやり窓の外の大阪を見ていた。

検札に来た車掌は、一瞬「グリーン車」に不釣合いな客だという目で、ジーンズとTシャツ姿の僕を見たが、JRパスを見せると納得したよう。その後、彼は「おしぼり」を持ってきてくれた。

京都駅のタクシー乗り場は、土曜日の昼と言うことで、百人くらいの列ができていた。(タクシーも百台くらい待っていたが。)和服の女性も何人かいる。基本的に日本人女性にしかセックスアピールを感じない僕は、若い日本人のお姉さんが横を通り過ぎると、思わず目で追ってしまう。周りが全部日本人という環境に慣れるのに、少し時間がかかるようだ。

十一時半、ロンドンの家を出てからちょうど二十時間で、京都の実家に到着。僕は八十六歳になる父と再会を喜びあった。

 

 

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