今日の日はさようなら

 

solomon031

シンガポール、チャンギー空港ではクリスマスの飾りつけが。暑いクリスマス。

 

老夫婦の後に座った、これからサンパウロに飛ぶというブラジル人の青年とまた話をする。飛行機に乗ってからも、隣に座った中学校の数学の先生と話す。緊張を解いて、気分を和らげるには、何と言っても、人と話をするのが一番だ。 

 そして、飛行機の中では、とにかく眠ってしまうに限る。そのために手っ取り早いのが酒。強い酒は心臓に良くないが、この際、背に腹は代えられない。僕は免税店でブランデーを買おうとした。免税店の綺麗なお姉さんに美味しそうなやつを選んでもらい、レジに持って行く。しかし、レジのおばばは、オーストラリア行きの乗客には酒は売れないと言った。ガーン。「華麗なる一族」の音楽が二度目に流れる。

 ともかく、色々あったが、僕を乗せたボーイング七七七型機は、十二月十九日、午後十一時にヒースロー空港を飛び立った。飛行機が水平飛行に移り、夕食が供されたのが真夜中過ぎ。僕はワインを頼み、一度に一錠しか飲むなと言われている精神安定剤を三錠飲んだ。そして、その後はバタン・キュー。眠ってしまった。

 目を覚ます。時計を見るとロンドン時間の午前七時半。六時間以上眠っていたことになる。シンガポールまでの飛行時間は残り五時間余り。気持ちも落ち着いている。何とか無事に着けそうだ。

 シンガポールに到着したときは、現地時間の夜八時半。辺りはもう闇に包まれている。窓際の席の数学の先生が、

「今日という日はなかったも同然だな。」

と言った。本当にその通り、眠っている間に、短い十二月二十日はもう終わろうとしている。

「シンガポールからは定時に出発できますよ。だって、翼の氷を落とす必要がないもん。」

僕がそう言うと、両隣の客がフフッと笑った。

飛行機の中で、インターネットからダウンロードした、ソロモン諸島やガダルカナル島に関する文献を読む。実際、旅行が決まってから、僕はソロモン諸島についての本や文献を読み漁った。殆どが、第二次世界大戦中の戦記物である。一九四二年、当時の日本軍は、米軍とオーストラリア軍の連携を断ち切るために、ソロモン諸島のガダルカナル島に飛行場の建設を決定する。それまでの日本の最前線の基地は、ニュー・ブリテン島のラバウルであった。日本軍の工兵隊がジャングルに覆われた島に上陸し、飛行場の建設を始める。しかし、苦労の末に完成直前にこぎつけた飛行場は、八月七日、上陸してきた米軍の手に落ちてしまうのだ。その飛行場を取り戻すために、両軍の間に、水陸で激戦が交わされる。ガダルカナル島に送られた日本兵は約三万人。そのうち、二万人が島で死亡した。一万五千人は、補給を絶たれたための餓死だったいう。何とも、痛ましい話しだ。

 ガダルカナル島という島の名前を、僕は小学生の頃から知っていた。坂井三郎氏という、元海軍のゼロ戦パイロットが書いた「ゼロ戦の栄光と悲劇」という子供向けの本を読んだからだ。彼は、ラバウル航空隊に所属し、何回か、ガダルカナル島奪回のために出撃をしていた。彼は空からしか島を見ていないが、島に残された兵士たちは、大変悲惨な状況に置かれていたのだ。

 僕は、ひょっとして、日本兵の亡霊がまだ島にはいるのではないか。そして、今回、夢の中でも良いから、その亡霊と会って、話しができればいいのにと正直思っていた。

 

solomon032

ソロモン諸島の地図。中央下がガダルカナル島。

 

<次へ> <戻る>