白いセーター

 

鴨川の風景はまさに「山紫水明」。

 

京都に着いた日の午後五時、洗面器に石鹸とシャンプーとタオルを入れ、父のサンダルをつっかけて、近所の銭湯「船岡温泉」へ向かう。ロンドンを出る前日、同僚のリエに、

「モトさん、日本に着いたら何が一番したいですか。」

と尋ねられたとき、ぼくは即座に答えた。。

「何と言うても、銭湯やね。」

船岡温泉は、廃業を免れた数少ない銭湯である。入浴料三百九十円也を番台で払い中に入る。予想通り、三人の外人客がいた。この銭湯は外人向けのガイドブックに紹介されているそうで、夏や、復活祭休暇の頃は外国人観光客が多い。ひとりの若者が、かかり湯をしないで湯船に入ろうとしてきたので、

「お兄ちゃん。最初にシャワーを浴びるのがルールやで。」

と英語で教えてあげる。そうなると、僕がそこの温泉の案内人みたいな役割を果たす事になる。しかし、この役が意外と楽しいのである。「電気風呂」というのがあるのだが、

「手をつけてごらん」

と言う。そのときの外人さんの驚いた顔を見るのが楽しみ。

「これはどんな効果があるの。」.

「電気椅子の疑似体験だ。」

色々な反応がある。

 翌日、三月十六日、日曜日。朝起きて、鴨川まで歩く。まだまだ風は冷たい。休暇中の二週間、全然ピアノの練習をしないのもまずいので、友人のサクラに昨夜電話し、午後は彼女の家でピアノを弾かせてもらうことになっていた。サクラと娘のマヤは昨年の夏、ロンドンの我が家に滞在していたことがあるので、こちらも頼みやすいのである。

 家を出て、西南に向かってぶらぶら歩く。北野天満宮はちょうど梅の見ごろらしく、バス停には長い列が出来ている。白梅町から南へ歩き、午後二時に西院のサクラの家に到着。娘のマヤは模擬テストで留守、犬のルナはすっかりでかくなっていた。サクラとふたり、最近の出来事を報告し合った後、ピアノの練習を開始。うっ、調律がかなり狂っている。自分が正しい鍵盤を叩いているのか時々分からなくなる。それでも指の練習にはなる。犬のルナは、僕のホンキートンクを横で大人しく聞いていた。

 二時間ほど練習をして、彼女の家を辞すとき、僕は言った。

「漬物の味が変わってへんかったらええけど。」

「とんでもない。何時でも来て、弾いていいんよ。そうそう、卵を沢山もらったんやけど、ちょっと持って帰らへん?今晩の御飯何?」

「すき焼き!」

まさにどんぴしゃのお土産。玄関を出て歩き出し、後ろを振り向くと白いセーターを着たサクラがまだ手を振っている。律儀な人である。窓を曲がるときまた振り返った。白いセーターがまだ手を振っていた。

昔ながらの紅柄格子にも思わずほっとさせられる。

 

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