上げ膳据え膳

 

雪吊りも雪が少なく不要と思えることも。

 

義父の運転で妻の実家へ向かう。昨年祖母が昨年九十三歳で亡くなったが、ここ数年の祖母の介護から解放されて、義母の顔には寂しさと同時に安堵の表情が読み取れる。義父は友達との九州旅行から帰ってきたばかりとのこと、指宿の砂風呂の話などを楽しげに話してくれる。

 金沢に来るたびに、街の様子が大きく変わっていて、戸惑ってしまう。京都などは僕が生まれてから五十年、おそらく「鳴くよウグイス平安京」ができてから千二百年間、基本的な街の構造は変わっていない。おそらく、五十年ぶりに喪失した記憶を回復した人でも、昔の家には帰宅できると思う。しかし、金沢はそうはいかない。突然、街の真ん中に、今までなかった大通りができている。

 妻の実家に到着。ロンドンから持ってきた最近の家族の写真を義父母に見せる。義母はそれを食卓にそれを並べて眺めていた。末娘のスミレは、昨年の夏、ボランティアをするために妻の実家に滞在していたが、義母は真ん中のミドリとはここ数年会っていないので、特に一生懸命眺めているようであった。

 仏壇の前に行って、昨年亡くなった祖母に手を合わせる。義父がやってきて、祖母の葬儀の際に届いた弔電の束を見せてくれた。僕の出したメッセージもある。その次の差出人を見ると、「森喜朗」。ありゃ、どこかで聞いた名前。石川県出身の元首相やん。

「わしゃ、友達に頼まれて後援会に入っとったんじゃ。」

と義父。政治家も地元で地道な活動をしているのだと改めて感心する。しかし、「シンキロウ」と陰口をたたかれ、短命に終わった人とは言え、一応元総理大臣と並んで僕の弔電も読んでもらったことは、光栄の至りと言わねばなるまい。

 その後はお決まりのコースである。

「元博さん、お風呂が沸きましたよ。」

風呂から出ると、

「お父さん、元博さんに、おビール出してあげまっし。」

そして、豪華な晩御飯。まさに、妻の実家に居ると、婿殿は「上げ膳据え膳」の待遇なのである。末娘のスミレは今「上げ膳スウェーデン」。二月に、ロンドンの我が家に、ストックホルムから交換留学生マーヤが滞在していた。三月に入り、こんどは娘のスミレがストックホルムのマーヤの家に滞在している。従って僕がロンドンを発つとき、スミレはロンドンにいなかった。

 その日の夕食は見事なズワイガニであった。義父母と話をしながら時間をかけて食べる。僕は、カニの足の部分ももちろん空きなのであるが、甲羅の部分の、あの緑色をしたグチャグチャした部分が特に大好き。そして、最後に、甲羅の部分に熱燗を入れて、ズズッと飲み込む。生きていて良かったと思う瞬間である。

 帰国して三日目。時差ボケと旅の疲れが極限に来ていた。僕は義父母に「ごちそうさま、おやすみなさい」を言い。九時には二階に上がり、眠り込んでしまった。

ここに酒を入れて飲むと最高。

 

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