娘の職場

 

金沢では卒業式の季節であった。

 

 金沢へ着いた翌日、三月十八日の朝、僕は、昨年末娘のスミレがボランティアで働かせてもらった、石川県国際交流ラウンジに挨拶に行くことにした。このラウンジは、金沢に住む外国人が互いに交流をしたり、日本文化について学ぶ施設。娘は夏休みに、そこで三週間働きながら、囲碁、着付けなどのクラスにも参加させていただいていた。スズキさんと、スケダさんという二人の女性が、実質的な運営に当たっておられるが、日本語がおぼつかない娘を指導するのは、さぞ大変であったろう。おふたりの苦労が偲ばれる。

 ラウンジのあるのは城の近くの本多町。僕は、甥のヒロが置いていったという自転車を借りて、街中に向かった。ラウンジは、昔の武家屋敷を改装した、和風の建物である。

「おはようございます。」

と言って入っていくと、小柄でキュートな感じの女性が出てこられた。

「始めまして、私、昨年こちらでお世話になりました、川合モニカの父でございます。」

と名乗る。娘はラウンジで、純粋な日本人ではないということを強調するためか、日本名のスミレではなく、あちゃら名の「モニカ」と名乗っていた。

「あーら、モニカちゃんのお父さんですの。私、スケダと申します。その節は大変お世話になりました。少し上がっていかれませんか。」

NPOの世話役ということで、何となく中年女性、どちらかというと「千と千尋の神隠し」に出てくる「湯婆」のような女性を想像していたのだが、僕の予想は裏切られた。僕は上がらせていただいて、お土産のチョコレートと紅茶をスケダさんに渡す。娘の職場に上がるというのは、何となく気恥ずかしいものである。

ロビーでは頭にスカーフを巻いた、イスラム系の女性が日本語の勉強をしていた。スケダさんがその女性に僕の持ってきたチョコレートを薦めるも、その女性は、チョコレートの中にイスラムの戒律に反するものが入っていないか、仔細にスケダさんに尋ねている。

「モニカちゃんと仲の良かったサイモンが来てますけど、会っていかれますか。」

スケダさんは僕に聞く。オックスフォード出身で、英語教師をしているサイモンについては娘からも聞いていた。ふたりは時々メールのやりとりをしているらしい。僕は聞いた。

「サイモン、今、何しているんですか。」

「囲碁の教室です。」

「じゃ、いいですよ。邪魔したら悪いから。」

しかし、スケダさんはその言葉を無視し、僕をひとつの部屋の前に連れて行った。襖を開けると、中年の先生の前に、囲碁版を挟んで童顔の英国人の青年が座っていた。

「モニカちゃんのお父さんです。」

とスケダさんが僕をふたりに紹介した。

「おー、あなたが『あの』モニカちゃんのお父さんですか。」

ふたりは同時に言った。どうも娘の方が有名な場所は、父親にとって居心地の悪いものである。

 

昨年夏、一緒に囲碁を習うサイモンとスミレ。

 

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